山桜 リリース記事


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内容紹介

車の運転が自動化された未来。人々はAIにハンドルを委ねた。
帝国自動車は政府と手を組みさらに市場拡大を狙う。
正明は深夜の高速道路でV8のエンジンを唸らせ自動運転車に勝負を挑む。
その間に和花は詩を詠み、革製品を作っていた

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 経年劣化したナトリウムランプの光は道路まで届かなかった。山の向こうまで続く点々としたオレンジ色の光はところどころ途切れていた。ロードノイズがひどい場所も少なくない。採算性なしと判断された道路はじきに封鎖されるだろう。

 V型8気筒のエンジン音が深夜の沈黙を打ち破ると、青白いハイビームが道路を暗闇から切り出した。徳川自動車のムラサメだ。日本で最後に作られたハンドル付き自動車であり、電気モーターもAIも付いていない完全内燃機関の車だ。カタログスペックはV型8気筒三六〇〇cc。四〇〇馬力。車体重量九四〇キログラム。最高速度は時速三〇九キロメートル。

 ムラサメは時速二四〇キロで巡航していた。高速道路の制限速度は時速一〇〇キロ。明らかなオーバースピードだがムラサメは速度を落とさずに緩やかなバンクが付いたカーブに入った。遮音壁は時速二四〇キロで引き伸ばされてペラペラのベージュ色になっていたが、もしぶつかれば車の方がペラペラに潰れるだろう。道路の継ぎ目、アスファルトの割れ目、高速道路に迷い込んだ野生動物、車がコントロールを失う可能性はいくらでもあった。

 運転席の男は腕に寒気を感じていた。内装機器のランプに照らされた顔は緊張でこわばっていたが笑っているようでもあった。

 ムラサメは無事にカーブを抜けた。運転席の男は息を一気に吐き出した。道路は直線になったがロードノイズがひどくなったので、ムラサメが時速八〇キロまで速度を落とすとアスファルトの沈黙がムラサメに覆い被さってきた。見えているのはハイビームに照らされた細長い道路と光を飲み込もうとする巨大な闇だけだ。

 ムラサメは坂道を登ると、遠くを走る一台の車を発見した。自動運転車だ。AIの走りはブレがないので見た瞬間に分かった。

 男がアクセルを床まで踏み込む。V8のエンジンが沈黙を粉々にした。時間も速度を上げて、スピードメーターが一五〇を超えると道幅が加速度的に狭くなり始めた。

 坂を下りるとムラサメは時速二五〇キロを超えていた。ハイビームの光がレモンイエローの車体を捕らえた時には二九五キロになっていた。ハイビームに照らされた車内に人影はない。システムの冗長性を保つために誰もいない道路を走らされていたのだろう。男はハンドルに手を突っ張り、床まで踏み込んだアクセルをさらに踏みつけた。二台とも同じ方向に走っていたが相対速度は二〇〇キロに近い。衝突すれば二台ともぺしゃんこに潰れるだろう。

『な 832-439』

 ナンバープレートの文字と数字が見えた。ハンドルを切ることは考えない。ハンドルを切れば時速二九五キロでムラサメは高速道路の壁に頭から突っ込むだろう。

 レモンイエローの車体がムラサメのハイビームを照り返した。その光はどんどん強くなり男の視界は真っ白になった。光の次はエンジンの音が反射してきた。耳と視界が白い光と音に埋め尽くされた一瞬の後、ハイビームの反射角がずれて無人の車内が視界に飛び込んできた。

 自動運転車が路肩へ飛び出した。ムラサメはその後ろを走り抜けて、男がバックミラーを見た時には、道の外へ向いたヘッドライトの光が見えるだけだった。

 男がアクセルペダルから足を離すと、強力なエンジンブレーキがかかりエアコンの通風孔から焼けたオイルの匂いが吐き出された。窓を開けると深夜の冷たい風が車内に飛び込んできて、ムラサメと男の体から熱を奪い取っていった。

 ムラサメが高速道路を走り続けていると、看板が一〇〇メートルおきに立っていた。そこには赤い字でこう書かれていた。

引き返せ
この先崩落
道路なし

 道路を塞ぐように白いガードレールが立っていたがムラサメはその隙間を走り抜けた。ナトリウムランプの光はなくなり、ハイビームが照らす道路だけが闇に浮かんだ。遮音壁はひび割れていて、場所によっては暗闇がぽっかり口を開けているところもあった。そこはハイビームの光が当たっても真っ暗なままだった。

 男が道路の先を見詰めていると、突然灰色のアスファルトが消えて真っ暗になった。男がブレーキペダルを床まで踏み込むとムラサメはタイヤを軋らせて止まった。

 男は何度か深呼吸して息を整えると懐中電灯を持ってムラサメを降りた。ムラサメは崩落した道路の手前で停まっていた。

 男は道路の端から懐中電灯の光を地面に向けた。暗闇の底には誰も住んでいない町があるはずだが光は暗闇に吸い込まれて何も照らさなかった。

 男が懐中電灯の光を前へ向けると、高速道路のちぎれた鉄骨と鉄筋がむき出しになっていた。男はアスファルトの欠片を向こうへ投げてみたが、欠片は暗闇の中へ吸い込まれた。しばらく耳を澄ませたが何かが地面に落ちる音はしなかった。それでも男は暗闇の沈黙をじっと耳を傾けていた。

 男は暗闇から何かが来るのを待っていた。誰かに何故そんなことをしているのか訊かれても男は何も答えられないだろう。男が月に何度か崩落した道路の先に立っていることは暗闇しか知らない。

 沈黙には沈黙という音がある。暗闇では暗闇が見えている。男はその考えを振り払った。沈黙は沈黙であり暗闇は暗闇だ。ムラサメのV8エンジンの音とハイビームの光が男の意識に飛び込んできた。さっきまで音と光はあったはずだが男の意識から消えていた。

新也参上!

 遮音壁に赤いスプレーで落書きがしてあった。新也が誰かは知らないが、男以外にも誰かがここに来ていたのだ。

 暗闇と沈黙は戻ってこなかった。男はムラサメに乗ると来た道を戻った。レモンイエローの車とはすれ違わなかった。

 それから一時間後、魚田市のメロンタウンに立ち並ぶ筒状の超高層集合住宅群がムラサメと男を出迎えた。しかしムラサメはメロンタウンの手前にある廃工場の倉庫に入った。

 ムラサメが倉庫の真ん中でエンジンを停めるとヘッドライトが消えた。

 男がムラサメを降りると鉄臭さが体を襲った。懐中電灯で辺りを照らすと倉庫の端に塗装のはがれた機械や錆びた鉄の切れ端が散らかっていた。鉄板を加工する工場だったらしいが、奇妙な形に裁断された鉄板が何に使うための物かは不動産屋も知らなかった。

 男が倉庫を出てシャッターを閉めると、ミントグリーンの車がタイヤの音を忍ばせながら近寄ってきた。工場に着く前に呼んでいたのでタイミングはぴったりだった。

 男がミントグリーンの車に乗り込みカードリーダーにIDカードを読み込ませると『こんばんは棗正明様』とドアガラスのディスプレイに表示された。

「帰る」と正明が言うと『メロンハイツ-え-63棟』と表示された。正明は『ここに行く』をタッチした。電気モーターは音も振動もなく車を発進させた。

 二〇分後に正明はシートのバイブレーションで起こされた。眠っていたようだ。車はメロンハイツに着いていた。

 正明は車を降りると空を見上げた。上層へ行くほどメロンハイツは細くなり空に吸い込まれた。屋上は雲より高いそうだが見たことはない。

 正明は『メロンハイツ-え-63棟』に入った。超高層集合住宅は一棟あたり平均五千人が住んでいるというが建物中央にある吹き抜けのエントランスには誰もいなかった。正明はまた空を見上げた。中空構造の丸い内壁は高くなるほど狭まり空を塞いでいた。そのせいか天井は無いはずなのに雨の日でも何も落ちてこなかった。

 正明はエレベーターで五三階まで上ると『あ-4』室のカードリーダーにメロンハイツのIDカードをかざして、ロックを外した。

 ドアを開けるとタンニン染めされた革の匂いが部屋から吐き出された。正明の目の裏に和花の後ろ姿が浮かんだ。和花はレザークラフトの職人で夜に仕事をしていることが多い。正明は仕事から帰ってくると革に縫い穴を開ける木槌の音をよく聞いていたが、今は深夜なので静かだった。

 正明が部屋に入ると明かりが点いた。深夜の目には明るすぎるので「半照明」と言うと天井の蛍光灯が消えて、壁にあるランタンが点いた。薄暗いオレンジ色の光は自然の炎と同じ不規則な揺れ方をするらしいが正明は揺れのパターンを憶えてしまった。

 正明は寝室を開けてベッドが和花の形にふくらんでいるのを見ると、冷蔵庫から缶ビールを出して一気に飲んだ。ドライブの後は酒を飲まなければ、すぐには眠れない。アルコールで眠っても熟睡はできないといわれているが、もうすぐ朝になろうとしているのでちょうど良かった。熱いシャワーを浴びてベッドに入ると、すぐに意識が朦朧としてきた。和花は深い眠りに入っているのだろう。正明が隣に入ってきても何の動きも見せなかった。時計を見るともう朝の五時だった。

 正明が目を閉じると一瞬で朝になった。時計を見ると朝の六時半だ。正明は和花の栗色の髪に顔を突っ込むと、和花の匂いを鼻に満たしてから勢いよくベッドから飛び出した。その反動でベッドが揺れたが和花はまだ眠っていた。いつも九時か十時、それより遅いと昼過ぎに起きるので六時半ならまだ夢の中だ。

 正明は朝食に目玉焼きを四つ焼いてマヨネーズをかけるとパンに挟んで食べた。目玉焼きは和花に一つ残してある。それから正明はカモミールティーを飲みながら朝のニュースを一通り見て部屋を出た。

 朝は通勤時間が重なるので百人乗れるエレベーターが満杯だった。顔ぶれはいつも同じだが話したことは一度もない。みんな上か下を向いて誰とも目が合わないようにしていた。正明は入り口近くに立っている男が髪を切ったことや、隣に立っている女が新しい柄のスカーフを巻いていて、まだ服装になじんでいないことにも気付いていたが、それでどうしようという気もない。

 メロンハイツを出ると停車場に車の列ができていて人々は順番に乗り込んでいった。正明も車に乗るとカードリーダーにIDカードを読み込ませた。『おはようございます棗正明様』とドアガラスに表示されると「会社」と正明は言った。『帝国自動車本社ビル』と表示されたので『ここに行く』をタッチすると車が動き始めた。

 正明には父親が車を運転する後ろ姿と、母親の後ろ髪を後部座席のチャイルドシートから見ている記憶があった。いつから自動運転車に乗るようになったのかは記憶がない。正明が十歳の頃には車を運転する人は珍しくなっていた。歴史の本には自動運転車の対人事故数が三年連続〇件になったことが分岐点だと書いてあった。専門家は急激な切り替えは起こらないと予想していたが、たった数年で自動運転車への切り替えは起こった。今では九九%の人が自動運転車に乗っている。

 専門家の予想は外れるものだ。移動のコストやストレスが下がれば人々は都市部から郊外へ移り住むという予想も外れて、人々は都市部に寄り集まった。日本の人口は減り続けているのに魚田市の人口は史上最多を毎年更新してメロンハイツの家賃も年々上昇している。

 都市部以外の土地はタダ同然だ。正明はムラサメを停めるために廃工場を土地込みで安く買ったのだが不思議とそこに住んで仕事へ行こうとは考えられなかった。一度試したことはあるが、通勤する車の中で奇妙な空白感に体を包まれて、一日でやめてしまった。都市の外側に住もうとする人は少なくないが住み続けている人は聞いたことがない。ある専門家は都市部に住むのは不合理だというが、その専門家も都市部に住んでいるらしい。人の集まるところに人は集まってしまう。不合理でも現実に起きていることだ。

 車が帝国自動車の本社ビルに着いた。正明が車から降りると車はすぐに走り去った。朝は需要が多いので車は休む暇がない。

 正明は帝国自動車という会社で戦略企画営業部の部長をしている。上層部からは売上を上げろと言われているが帝国自動車のシェアは九九%なので契約数が増える見込みはない。ある上層部の男は月三万円でツーシーター、つまり座席が二つある自動運転車に乗れる契約を月四万円のセブンシーターに乗れる契約に乗り換えさせれば売上が上がると会議で言い放った。冗談だと思いたかったが営業指針にはセブンシーターに乗換えを勧めろと書き足されていた。しかし、ツーシーターの契約をしているのは独身者が多く、彼らが家族持ちにでもならない限りセブンシーターは必要ない。

 帝国自動車は昨年に史上最高の売上高を記録したが日本の人口が増えないかぎり、これ以上の売上増は見込めない。それならば客単価を上げようということで、この前は車の中で映画を見たり音楽が聴ける車の試乗キャンペーンをやった。シートは最高品質でディスプレイもスピーカーも良い物を使ったのでアンケートの満足度は高かったが月一万円を余分に払ってまで乗りたい人は多くない。

 上層部は客単価を上げたいと考えているが正明は無料にできないかと考えていた。人から金は取らない。その代わり車のディスプレイに広告を流して企業から広告料を取る。それなら人口は売上の制限にならない。

 上層部は馬鹿げた話だと一蹴したがテレビもインターネットも広告で成り立っている。どうして車がそうであってはならないのか。帝国自動車の車内ディスプレイは視聴率九九%だ。搭乗者がいつどこへ行ったかというデータも持っている。広告媒体としてはテレビやインターネットより強い。社内AIに試算させると全ての車が広告車に変われば売上は五倍になると出た。その結果を上層部に伝えると笑われたが、止めろとは言われなかった。正明の人と金の使用権限も拡大された。

(↓つづきは本編で)



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