内容紹介
人類滅亡級の隕石は核爆弾で破壊されたが
散らばった破片は大量の流れ星になって降ってきた
焼け跡を馬に乗って駆け回る藤原千秋
海の向こうへ行った世界で一番美しい猫クッキー
二人は別々の世界でお互いを探し求める
春暁の牧場の道を走り抜け馬も負けじと鼻息白く
人馬が脇目も振らず追い追いて朝日を目指し走り走りて
パパとママがまだ夢の世界にいる時に、私が牧場の道で自転車を漕いでいると、ベアトリーチェが柵を挟んで並走してきました。ベアトリーチェは白い鼻息で生温かい風を私の顔に送ってきます。
私:おはよう、ベアトリーチェ。
空の端には太陽が赤い顔を出していましたが、牧場はまだ薄青く、何頭かの馬の影が草を食んでいました。
ベアトリーチェは柵の端まで私と一緒に走りました。
馬屋の前には既に何台かの自転車が並んでいました。どんなに早く来ても誰かが先に牧場に来ているもので、前に一度だけ朝の三時に来たことがあるのですが、その時でさえ誰かが先に来ていました。私も一番端に自転車を並べると馬屋に入りました。
私:おはよう、ロミオ。おはよう、ウシミ。おはよう、ドリス……
私は馬屋から顔を覗かせている馬達に声をかけていきました。たいていは無言か耳を震わせるだけですが、鼻を鳴らして返事をする馬もいます。一七番目の馬屋で
私:おはよう、ユニコ。
ユニコは目を細めて唇をまくりあげると、大きな白い歯とピンク色の歯ぐきを私に見せました。このブサイクな顔を見るたびに、私は馬鹿にされているんじゃないかと疑うのですが、ユニコがこの顔をするのは彼女を担当している私にだけなので、馬的な親しみの仕草なのかもしれません。
私は馬屋の奥にある更衣室で制服からジャージに着替えると、飼葉桶に飼葉を詰めてユニコの馬屋に行きました。柵に飼葉桶をかけるとユニコは早速もしゃもしゃと食べ始めます。その間に私は道具室からフォークとバケツを持ってきました。フォークといっても農具用のフォークで、鶏ぐらいなら一突きで殺せそうな代物。それで汚れたワラとウンチを取り除き、新しいワラを敷いて、ブラシでユニコの体をマッサージ。それも終わるとユニコに馬具を着けて、馬屋の外へ連れて行きます。
柵の門を開けてユニコを牧場に入れると、アリーに乗った伊集院先輩が歩み寄ってきました。彼女は高等部の二年生ですが、三年生はもう卒業したので今は彼女がポロ部の部長です。
伊集院先輩:藤原さん、ちょっといい? ユニコのことだけど。
私:はい。
伊集院先輩:先週まで様子を見ていたけど、やっぱりダルミグループとは馬が合わないみたい。アリーグループに入れることにしたから。よろしく。
私:はい。
馬にも人間関係、いいえ、馬間関係がありました。群れのリーダーに動きを合わせられない馬はグループから弾かれてしまうのです。後ろ足で蹴られたり、噛みつかれたり、そういう分かりやすいいじめもありますが、それより先に起きるグループの馬達といじめられている馬との間に走る緊張感は人間にも感じられるほどでした。だからケガをする前に人間が気を利かせて、違うグループに避難させるのです。
私もユニコにまたがるとアリーと並んで歩かせました。相性は悪くないようです。軽く走らせてもみましたが、やはり動きは合いました。アリーが合わせてくれたようです。アリーは気立てが良く、来るもの拒まずの馬でした。あまりにも面倒見がいいのでお母さんと呼ぶ子もいます。でもアリーには一度グループから抜けた馬は絶対に許さないという嫉妬深さもあったのでユニコがダルミグループと険悪になっても、しばらくは様子を見ようという判断をしたのでした。
伊集院先輩:じゃあ今日からよろしく。
私:はい。
伊集院先輩がアリーを走らせると、私も別の方向へユニコを走らせました。冷たい風が私の顔を掴みました。
近衛学園のポロ部には一度早駈けを体験すると二度と退部しないという伝説があります。私は一年生の時に一度退部したのですが、その時はまだ中等部の三年生だった伊集院先輩がもう一度入らないかと誘ってきたのです。本当はいけないことだけど、先輩は私をロミオに乗せて、早駈けほどではありませんが風を感じるほどの速さで走らせました。飛んでいるようで落ちているような、何だか分からない不思議な感覚に襲われて、私はまたポロ部に戻る決心をしました。ちなみにロミオは近衛学園ポロ部の真のリーダーで、全ての馬はロミオを中心に回っていました。ロバみたいにぼーっとした顔なのに不思議です。初心者には乗りやすいように足を折って地面に伏せるほど優しい馬でもあるので、ポロ部の子達は全員一度はまたがったことがあります。
太陽が高く昇ると、ユニコの雪を被ったような被毛と、とうもろこし色のたてがみがはっきりと見えるようになりました。牧場を見渡すとポロ部は全員揃ったようです。併せ馬をしている子達もいます。馬から降りて休憩している子もいました。
始業時間が近づくと伊集院先輩がラッパを吹いて部員を集めました。
全員が集合するとみんなで牧場の端から端まで横一線になって駈けます。速度を合わせなければできませんが、一年生の子も列を乱さずに駈けられるようになっていました。
柵のところまで来ると馬から馬具を外して、私達は柵を乗り越えて馬屋へ、馬達はそのまま牧場です。顧問の二階堂先生は馬が真似するといけないので柵の門から出入りするようにといつも言っていますが、私達はやってはいけないことだから、やってしまうのでした。
私達は馬屋の更衣室にあるシャワー室で汗を落とすと制服に着替えて、校舎へ行きました。
授業が始まっても私は上の空で、心はずっと牧場にありました。同じクラスでポロ部の姉川音々ちゃんは牧場に顔を向けています。窓際の席だと牧場の馬が見える時があるのです。
やる気が出るのは二階堂先生の国語の授業だけ。私は国語が好きなのか、二階堂先生が好きなのかは分かりませんが、時間割に書かれた『国』の字を胸をときめかせながら待ちました。
二階堂先生は私に将来は詩人になりますかと訊いたことがあります。私は全然そんなことを考えたことはありません。だって詩人になるのは出家するのと同じだから。尼さんと違うのは頭の毛を剃らないこと。詩人なんて霞を食べていくしかないわけで、尼さんは念仏を唱えますが詩人は念仏を唱えられる方でした。だいたい教科書に載っている詩人なんて、正岡子規、与謝野晶子、谷川俊太郎、山尾三省、俵万智、みんな白黒写真の昔の人。現代の詩人なんて誰がいるのでしょうか。本屋に行っても詩の本なんてどこにもなくて、図書館でしか見たことがありません。本として存在するぐらいだから東京か大坂の大きな本屋にならあるのかもしれませんが、すだち県にはたぶんないでしょう。それぐらい需要がないということ。需要がないということはお金が稼げないということ。お金が稼げないということは生きていけないということ。もう子どもではありませんから、それぐらい分かります。詩でお金を稼ごうとしても、すだち新聞の読者欄に投稿して三千円分の図書カードが精々でしょう。それにお金のために、いいえ、何かのために詩を詠むなんて絶対にできません。この前、国語の授業で詠んだ詩が県知事賞に選ばれたのですが、私はそんなものに選ばれるなんて知らずに詠んだわけで、もし知っていたらどんな詩も詠めなかったでしょう。それに県知事賞を取れたのは私が子どもだから。子どもだからこんな詩で賞が取れたのです。
エメラルド色の瞳にカツオブシこんな時だけグルグルニャオ
講評はすだち新聞に載っていて『ペットの無邪気さと猫なで声がうまく表現されていて子どもらしい感性にあふれた素晴らしい詩でした。』と書かれていました。私は嬉しくて事あるごとに何度も講評を読み返していたのですが、ある日、妙に気持ちがイライラする時があって、私は講評の切り抜きを鞄から出すとびりびりに破って、ゴミ箱に捨ててしまいました。講評は何行かあったけれど、今でも憶えているのは一行だけ。この一行もいつか忘れて、忘れたことも忘れてしまうでしょう。
三学期の初めに将来何になるかを考える授業があって、私はお菓子屋になると書いて課題を提出しました。それは隣にいる笹原由紀ちゃんの真似をしただけで、これっぽっちもなるつもりはありません。小学生みたいなことを書いていた由紀ちゃんには驚きましたが、彼女なら本当にお菓子屋さんになれるでしょう。二年生の時にこっそり持ち込んだ彼女のバタークッキーは今でも憶えているほど美味しい物でした。でも私には無理。クッキーの作り方も知りません。
将来何になるかという問いは、将来何になってお金を稼ぐかという意味で、私には何も思い付きません。純粋に何になりたいかという問いには、馬に乗っていたいという気持ちがぼんやりとあります。でも馬に乗る仕事って何があるのでしょうか。競馬の騎手? 勝ち負けを争う修羅道を走るなんてまっぴらごめんです。前に騎馬警察というのをTVでやっていて、ぴたっとした制服を着た女の人が馬に乗っていましたが、それだって事件が起きれば修羅場を治めなければなりません。それも嫌。私の目の前にある将来は良い大学へ行って、良い仕事に着くこと。でも良い仕事って何? 月給は五〇万円ぐらい、ううん、贅沢は言わずに半分の二五万円でも良いから目的もなく馬に乗れる仕事。そんなのあるわけない。社会の授業で職業選択の自由が日本国憲法で守られていると習いましたが、私には選びたくないものの中から選ぶ自由があるだけで、選択肢の自由はないのでした。
昼休みになると私は牧場へ行きました。姉川音々ちゃんも一緒です。
音々ちゃん:ごめんね。ダルミが駄々こねちゃって。
私:ううん、ユニコもワガママなところがあるから。
ダルミは音々ちゃんの担当でした。ちなみにダルミという名前は彼女がダルメシアン柄の馬だからです。
私達が柵のそばに立つとダルミが歩み寄ってきました。ユニコもこちらに足を向けていましたが、ダルミも同じ場所を目指していることに気付くと体を横にして足を止めました。音々ちゃんは申し訳なさそうな顔を私に向けてからダルミの鼻を撫でました。
音々ちゃん:良い子。
ダルミは柵の間から口を伸ばして音々ちゃんのバッグを奪おうとしましたが「こらっ」と音々ちゃんが一喝するとすぐに頭を引っ込めました。
馬は私達より大きくて、子馬でも五〇kg、大人なら四〇〇kgにもなります。つまりゴリゴリマッチョの筋肉ダルマでも力尽くで動かすのは無理ということ。馬は心で動かしなさいと二階堂先生はいつも言っています。大事なのは馬に好かれること、なめられないこと。乗り手に自信がなければ馬は動かず、なめられれば振り落とされる。私はユニコと言葉を交わさないけれど、何でも話し合っている気分になる時があります。私がユニコでありユニコが私であり、同時に私は私でユニコはユニコであるという不思議な感覚。
私と音々ちゃんは牧場でお昼を食べました。その後はお互いに自分の馬と柵越しに触れ合っていました。昼休みが終わると午後の授業です。また上の空。私の心はここではないどこかへ飛んでいました。
午後の授業が終わると部活です。私達は馬小屋の更衣室でユニフォームに着替えて、馬具を持って牧場へ行くと、それぞれが担当している馬に馬具を着けて乗りました。それから馬小屋とは別の場所にある私達がボロ小屋と呼ぶポロ小屋に行って、ポロの道具を競技場に運びました。
ポロといえばイギリスのイメージがありますが日本や中国にもポロはあって、巴御前も薙刀の峰で鞠を弾いていたという、うさんくさい話を私達は新入部員が入ってくるたびに二階堂先生から聞かされていました。他にもポロは元々アジア発祥だとか。ポロ的なスポーツは昔からあっても、ポロと呼ばれる競技はやっぱりイギリス発祥だとか、つまり退屈な歴史のこと。
部員が揃うと練習が始まって、最初は四人が横一列になって走りました。左端の人がボールをハンマー杖で叩いて隣の人にパスします。順々に隣へパスを繋げて右端までボールが回ると、今度は右から左へボールを回します。言葉にすると簡単ですが慣れないうちは右端までボールが回る前にフィールドの端まで来てしまいます。
これを三度繰り返すと、今度は三人一列になって走ります。真ん中の人は右端にボールをパスすると、後ろから右端へ移ります。同時に右端と左端の人は真ん中に向かって馬を走らせます。ボールを受けた右端の人は左端から真ん中へ移動している人にパスすると、これも後ろから左端へ移動します。その頃には真ん中にいた人が右端にいるので、その人へパス。そうやって位置を入れ替えながら前へ進んで、ゴール前でボールを受けた人がシュートをします。これは動きが激しいので三度すると馬を休ませます。本場のポロは替え馬が何頭もいるそうですが、私達は一人に一頭しかいないので馬を労わりながら走らせます。
一休みを終えると、また横一列に四人が走って、両端のプレイヤーがボールを送り合います。間の二人はパスコースを潰したり、ボールを奪ったりします。それを五回繰り返すとまた休憩。今度は半時間です。その間に私達はポットで沸かしたお湯で紅茶を飲みます。馬達はそれぞれのグループに固まって休んでいました。
伊集院先輩:アリー、こっちに来ないで。
伊集院先輩が大声を出すと、アリーは「なにか御用ですか、お嬢様方」と言いたげな物憂い態度で近付いてきたので、私達は笑い声を上げました。言葉で否定して心で呼ぶという遊びで、私もユニコにならできます。
半時間の休憩を終えると五分間の練習試合をしました。各馬最低一回はフィールドを走らせると部活は終わりです。
近衛学園のポロ部は七〇年連続日本一です。何故そんな現実離れしたことができるのかというと、ポロ部は日本で近衛学園にしか存在しないからです。オンリーワンだからナンバーワン。
なぜ日本の片隅の、四国の、それもすだち県にだけポロ部があるのかは知りません。なんでも山奥に皇族の方が住んでおられて、日英同盟の折にイギリスの王族の方から友好の印として、たくさんの名馬珍馬を送られたのだとか、そもそも平安時代から馬に乗って鞠を棒で弾く遊びがあって、すだち県ではそれが盛んだったとか、ただ単に学園長の西洋かぶれだとか色んな説がありますが、結局のところ本当の理由は分かりません。ただ確かなのはポロ部があるということだけ。
私達は道具を片付けて馬達を馬屋に帰すと、ユニフォームから制服に着替えて家に帰ります。
帰りは道が明るかったので馬捨て場の横を通りました。そこは文字通り馬を捨てる場所で、昔はケガや病気で走れなくなった馬をここに捨てていたそうです。馬捨て場の土は赤みを帯びた黒い色をしていて、何故か草が生えないので馬の呪いが染み付いていると、もっぱらの噂です。そんな場所だからか馬捨て場の奥にある壁のない小屋には馬頭観音の石像が奉られています。石像の怒った顔は赤く塗られていました。私は音々ちゃんと一緒に帰っていたのですが、馬捨て場を通り過ぎるまでは、冷たい空気に言葉を掴まれて一言も喋れませんでした。
私と音々ちゃんは同じ小学校で、帰る場所も私と同じ令和町でした。小学校の頃はあまり仲は良くありませんでしたが、近衛学園に入ってからは同じ小学校のよしみで仲良くなりました。お互いに小学校からの友達とは別れ別れになっていて、最初は寂しさを埋め合うだけの同盟関係でしたが今は本当の友達です。
私と音々ちゃんはいつもの交差点で別れました。姿が見えなくなっても「バイバイ」と大声で言い合って、屋根の上に私達の声を響かせました。
家に帰ってくると、窓から明かりが漏れていました。今日のパパとママは帰りが早いようです。
私:ただいま。
パパとママ:おかえり。
私が玄関で靴を脱いでいると、クッキーが廊下の先にあるリビングから私を見ていました。クッキーは私が一〇歳の時にパパとママが誕生日プレゼントにくれた猫で、バタークッキー色の毛をしたバタークッキーの匂いがする素敵な猫です。ベッドはもちろんトイレやお風呂も一緒に入るぐらい仲良しでした。私が学校から帰ってくると「にゃ、あ、あ、あ、あ、あ」と声が途切れる勢いで私の足に突撃してきたものです。でも何故か近衛学園に入ってからは険悪な仲になってしまいました。牙を剥かれるほどではありませんが私が近付いても逃げてしまいます。
私:クッキー。
声をかけるとクッキーはぷいと顔を背けて、静かに姿を消してしまいました。クッキーはもう私の猫ではないみたいでした。
はじめまして。私はクッキー。世界で一番美しい猫よ。
突然だけど、なぞなぞを出すわね。
世界で一番美しい生き物ってな~んだ?
これは簡単ね。答えは猫。
じゃあ二問目。これはもっと簡単。だってあなたは答えを知っているはずだもの。
世界で一番美しい猫はだ~れ?
はい、最初に言ったとおりこの私。クッキーよ。正解した人はおめでとう。間違えた人はひねくれているのね。でも、いいの。正解以外は許さない全体主義は私の趣味じゃないし、建前上は自由を重んずる日本の空気を吸って育った猫だから、間違える自由だって認めるわ。でも間違った人を私がお馬鹿さんだって思う自由もあるはずよ。何故お馬鹿さんかというとね。相手を馬鹿にする時には前と後ろに『お』と『さん』を付けてお馬鹿さんにしなさいってお母様がおっしゃられたからなの。ただの馬鹿だと言葉が鋭すぎるから相手の心を傷つけてしまうんですって。じゃあお馬鹿様ならどうなのって訊くと、それは馬鹿にしすぎなんだって。様が馬鹿にしすぎで、さんが相手を思いやる言葉遣いならお母様よりお母さんと呼ぶ方が正しいはずよね。だから私はお母様をお母さんと呼びました。するとお母様は、野良の子みたいな言葉を使うんじゃありません、と私の言葉遣いをお叱りになったわ。お馬鹿さんとお母様は良くて、お馬鹿様とお母さんが駄目だなんて理屈が通りません。お母様が本当に怒っておられたので、その場ではだんまりを通しましたが、私は機会を見計らってこの理不尽な言葉遣いの違いを問い詰めました。するとお母様はこう答えたわ。何故も何も、そういうものなのよ……だって。まったく理屈が通らないわね。でも私はそういうものなんだって受け入れたわ。だって、そういうものなんだもの。世界は優しさと理不尽で動いているのよ。正しさなんてどこにもないんだから。
世界で唯一正しいのは私が世界で一番美しいということだけ。自分でもどうしてこんなに美しいのか不思議よ。美は美だけを与えて他には何も与えないっていうけれど本当にそうね。美はなぞなぞじゃないから答えはないの。
お母様から聞いた話によると、昔々、一〇〇年以上昔、太陽が夜の世界を見るために片目を猫に変えて地上に落としたのが私の祖先なんだって。そんじゃそこらの猫とは違うわけ。そんな神話めいた話なんて私はこれっぽっちも信じていないけれど、ゴッホが描いたアルル地方の太陽と同じ色の被毛をなめていると、もしかしたら本当かもしれないと思う時もあるわ。お母様も兄弟もみんな同じ色と模様の美しい猫でした。一匹だけ全身真っ黒クロスケがいたけれど、そのクロスケにしたってその辺の猫と比べることを考えることさえ馬鹿らしいほどの美猫だったわ。
私達兄弟は元々どことも知れぬ白い部屋の一室で飼われていましたが、ある時からクロスケを皮切りに一匹ずつどこかへ買われていきました。そして私は一歳になる前日に、このお家、つまり藤原家に買われたのです。猫を売り買いするなんてどうかしているけれど、資本主義は何でも売り買いする世界だから仕方ないわね。それに人間にしたって自分の人生を切り売りしているわけだし、自分がお安くない値段で買われたと知った時はまんざら悪い気分ではありませんでした。私って資本主義の猫なのね。
私がこのお家、藤原家に来た最初の頃はいつ猫鍋にされるんだろうかとビクビクしていたけれど、じきに猫鍋なんてのは母猫が子猫をおどかすための作り話なんだって分かったわ。お母様は罪な猫ね。千秋もママもパパも私を食べるんじゃなくて、私に食べさせるために買ったわけ。変な話。猫なんていくら食べさせてもお金を生まないし、太らせて食べるわけでもないのにね。そりゃあ私にとっては結構な話だけど人間にとっては一文の得にもならないわ。そのくせ人間は同族の無駄飯食いは親の敵のように憎んでいるのよ。人間と猫では扱いが全然違うみたい。人間の世界は不公平なルールで動いているけれど、そういうものなんだって私はすぐに飲み込みました。飲み込めずに頭がおかしくなるなんて損だしね。
危険なことがないと分かった私はのびのびと家中に足を伸ばして、じきに外へ出る抜け道も見つけました。でも猫が勝手に家の外へ出てはいけないというルールがあるなんて、この時はまだ知らなかったの。家から私がいなくなって千秋は大騒ぎ。この大騒ぎは後ですぐに話すけれど、私は日本国憲法を改正して、第一条をこの条文に書き替えるべきだと提案します。
日本国憲法 第一条
全テノ猫ハ何時イカナル場所ニオイテモ家屋ニ出入スル権利ヲ有ス。何者モ之ヲ妨ゲテハナラナイ。
猫に何の権利もないのは差別だわ。選挙権も私有財産権だってないのよ。でも、誰も気にしていないし話題にもしない。この国では弱者の公認を勝ち取れない弱者は何の権利も保障されないみたい。正義や公正はどこへ行ったのかしら。
さて、そんな愚痴は止めにして大騒ぎに話を戻すわ。家の外に出た私が令和町の猫と知り合って、集会で顔見せをしていた頃、習字教室から帰ってきた千秋は私がいないことに気付いてギャン泣きしたの。ちっちゃな子ども特有のあの物凄い泣き方。彼女がギャン泣きしながら家の外に出ると、令和町に一〇〇匹の恐竜が出現したみたいだったわ。
千秋がギャン泣きして歩き回るから大人達は家から出てきて彼女の周りを囲みました。どうしたのかって大人達が訊くと、猫がいなくなったと千秋は叫びました。この時、人間社会はお金と子どもの涙で動いているのだと私は知りました。大人達は一人、また一人と猫探しに加わり、令和町に人間の台風が発生したわ。ありとあらゆる猫が捕らえられ、猫が見つかったという言葉を聞くと千秋は泣き止んで、その猫が目の前に差し出されると、この猫じゃないと、またギャン泣きを繰り返したの。そしてとうとう私も屋根から松の枝へ飛び移ろうとしているところを虫取り網で捕らえられました。私は千秋の前に差し出されて、彼女は私を小さな毛布にしてしまいそうな強さで抱いて、またギャン泣き。猫には九つの命があるという噂だけど、私はこの時一度死んだと思っているわ。残り八つ。
ママとパパがこの騒動を知ったのは翌日の日曜日、隣に住んでいる朱雀院さんからこの話を聞くと目玉が飛び出すんじゃないかってぐらい驚いていたわね。二人は金長まんじゅうを山ほど買ってくると、それを持って令和町中の家に頭を下げにいきました。
私は首輪に紐を付けられ、タンスに繋がれました。まるで犬になった気分だったわ。犬も毎日こんな気分を味わっているのだとしたらかわいそうね。同情はしないけど。
ちなみに、この話にはおまけがあって、この騒動の後に野良猫はみんな飼い主を見つけて家に入ったので、令和町にはしばらく野良猫が一匹もいなくなりました。本当におまけの話。おわり。
それから私はタンスか千秋に繋がれて、自由を制限された生活を強いられていました。半年後に紐が外されると、私は自由の身になりましたが、この家にもう五年もいます。
なぜ私はこの家を抜け出さないのか。つまりこういうことなの。そりゃね、家族に言いたい事は色々あります。不満がないなんてとても言えません。でもね、もし『一点の曇りもない完璧な家族と一緒に住んでいる猫の集会』を開いたとするわね。それも令和町中に召集をかけるの。でもそんな集会に集まる猫なんてせいぜい五匹くらい。その五匹にしても、どんな猫が来ているんだろうか、って好奇心で見に来ただけ。一点の曇りもなく完璧な家族なんて令和町どころか、世界中どこを探したっていないはずよ。完璧なのは神様だけ。そして神様はあの世にいて、この世にはいないの。だから、どこかで世界はこんなものだって妥協しなければならないわけ。それにね。一番大事なのは私がこの家族が好きだってこと。なぜ好きか。好きに理由はないわ。だから本当の愛なのよ。
愛といえば、犬と猫どちらが人間に愛されているのかとTⅤでやっていました。結果はほんの僅かだけ犬が勝っていました。三%ぐらい。でも、私はそれが真実ではないと見抜いていました。あんなのに騙されるのは犬とお馬鹿さんだけ。
犬は人間の役に立ちます。災害救助をしたり、爆弾を発見したり、泥棒に噛み付いたり、番犬や猟犬になったり、そりを曳く犬もいるのだとか。もしかしたら犬鍋になって人間のお腹を満たす犬もいるかもしれません。その点、猫はどうでしょうか。決して人間の役に立ちません。猫の手も借りたいということわざがありますが、実際に猫の手を借りた話は冗談でも聞いたことがありません。私にしても藤原家で何かの役に立ったことはありませんし、これからも役に立つ気はありません。
犬は役に立つから愛されている。猫は役に立たないのに愛されている。これ以上は言いません。賢明な読者なら私の言おうとしたことが分かるはずよ。ああ、私ったら愛情原理主義者みたいね。テロリスト扱いされると世界中から軍隊を送られるから、この事についてはもう黙っているわ。
と言いつつ、やっぱり愛について話すわね。世界で一番大事なことだもの。これから私が話すのは私と千秋の愛について。私達はお互いに愛し合っているけれど、ここ最近は、と思って振り返ると数年ぐらい経っていたので驚いたわ。とにかくここ数年ぐらいは私と千秋の愛に、馬が割り込んでいました。
千秋の体は近衛学園に通い始めてから獣の臭いが漂うようになりました。そしてある時、千秋は馬を飼えないかな、とママとパパに聞こえる独り言を言いました。私はそれで浮気に気付いたのです。千秋の獣臭さは馬の臭いでしょう。千秋は人が良すぎるから、空き地かどこかに捨てられている野良馬、いいえ、野悪馬を学校の帰りに可愛がっているのでしょう。私はこの目で馬を見たことはありませんが、どんな生き物かは知っています。人間より大きくて、車並みに早く走る生き物です。あんな生き物を家に入れたら三日もしないうちに床も壁もめちゃくちゃにされてしまうわ。
千秋は私だけの千秋でなければならないのに、千秋は馬に浮気していて、おまけにそれが悪いことだとは思っていませんでした。だから私は彼女に私と同じ気持ちを味わって欲しくて、つっけんどんな態度を取っているんだけど最近は間違ったことをしているような気がしているわ。千秋の心が傷付いているのは間違いないんだけど、彼女はどうしてそんな目に遭っているのかは全然分かっていないのね。このままだと私と千秋は永遠に傷付け合うことになりそうで、胸が切なくなるけれど、今さら私だけやめるなんて無理。何故かって? そういうものなのよ。
でも、そういうものなのよ。で日々を繰り返すのは愚かだから近頃は千秋がお風呂に入って馬の臭いを落とした後は、ほんの少しだけ寄りそうの。千秋が私の背中を撫でたり、指の間に被毛を滑らせたりすると、過去も未来もなくなって全てを許せそうな気持ちになったわ。
どうして千秋は私だけを愛せないのかしら。この疑問が湧くと私は怒るか悲しくなるかのどちらかで、今日は悲しくなったのでタンスの上で毛づくろいをしました。数年前の千秋ならタンスの上までついてきたけれど、今の彼女はソファーに座って私の方を見ようともしません。ずっとアイフォンとかいうスマートフォンに夢中になっているの。だから私もそこに千秋がいないかのような態度で毛づくろいしていました。
夜も更けてきた頃、千秋は大きくため息をついて
千秋:クッキー。
クッキー、クッキー、クッキー、クッキー、他にも色々。言葉にすればどれも同じだけど、どれも違う意味を持っているの。さっきの「クッキー」はもう夜も遅いからベッドに入らなきゃ。クッキー、寝室へ行こう。って意味よ。私だって「ニャオ」の一鳴きに色んな意味を込められるわ。でもこのお家でそれが分かるのは千秋だけ。
私:ニャオ。
さて、このニャオはな~んだ? いきなりこんななぞなぞを出されても分かる訳ないわね。答えは、あら、千秋。そんなところにいたの。全然気付かなかった。本当に。あ~あ、ビックリした。驚かさないでよ。
千秋の心にグサリとトゲが刺さりました。やっぱり千秋は私のニャオが一〇〇%分かっているのね。
千秋:クッキー。
私:ニャオ。
千秋は自分の部屋へ行く前にトイレで用を足しました。私は千秋がトイレから出てくるまでの間に千秋をやり込めたことを喜び、そのすぐ後で千秋はスマホに夢中になっていても私が同じ部屋にいることを知っていたのだと気付きました。私はやりすぎてしまったことを悔いたわ。愛と憎しみには限りがなく、バランスをとるのは難しいのね。
千秋がトイレから出てくると、私はしっぽの先で千秋の体を撫でました。すると、傷口から涙を流している千秋の心が柔らかくなったのを感じたわ。これでさっきのニャオはちゃらよ。
明日も学校があるので千秋はベッドに入ると早々に部屋の明かりを消して眠りました。私もベッドの下で丸くなりましたが目は冴えていました。ほどなくして千秋の細い寝息が聞こえてくると、私はベッドの下から這い出して千秋の顔を覗きました。スー、スーと規則正しく寝息を立てている千秋は食べてしまいたいほど愛らしい存在でした。このまま永遠に眠ってしまえば学校にも行かなくて済むし、馬と浮気しないでも済む。そうすれば私は世界の何よりも尊い愛情を千秋に注げるのに。
私は机の上で丸くなると愛の苦しみについて考えました。どうして愛は愛だけで存在できないのでしょう。愛について考えると、寂しさ、悲しさ、怒り、憎しみ、恐怖、物憂さ、心に悪いものがぞろぞろと湧いてきます。あまりに苦しいので、愛なんて無ければいいんだわ、と考えたことは一度ならずありました。でも愛の手は必ず私の心を掴んで離さないの。いいえ、私も離したがらないんだもの。私が愛を愛しているのか、愛が私を愛しているのか分からなくなるわね。たぶん両方よ。相思相愛。でも純粋にはなれない。
私が愛について考えて、心を上げたり下げたりしている間にも時間はどんどん過ぎて窓の外に見えていた家々の明かりはみんな消えてしまいました。
私は物憂い気持ちに浸りながら街灯の青い光をながめていました。するとその青さが突然ぱあっと強くなって窓いっぱいに広がりました。ゾッとした私は一度ベッドの下に逃げて、しばらく様子をうかがいました。窓の外では犬達が吠えています。鳥の群れが飛んでいく音も聞こえました。私の心臓はパクパクと鼓動して耳の先まで力強く血を送っています。さっきの光は何だったのかしら。いくら考えても答えは出ません。やがて私の心臓以外が静かになると私は窓の外を見に行きました。夜は静かに令和町を包んでいます。
さっきのは何かの間違いかしら。夢を見ていた? でも犬が吠えていたし鳥も飛び立った。それも夢だとしたら? 私は気持ちがそわそわするので毛づくろいをしたり部屋を歩き回ったりしました。絶対に夢じゃない。さっき何かが、それもとんでもない何かが起きたと心が叫び続けていました。
ふと気付くと窓の外から光が差していました。まだ朝には早い時間です。私はもう一度外を見ました。
私:これは大変なことになるわ。
(つづく)
流星を打ち砕けができるまで
妄想でジュースを飲む
2020年の4月1日に『山桜』という小説を出すつもりで、それまでは『難聴製造機』という短編を出すかもしれないが、基本的には小説のリリースは無しにする予定だ。かなり時間のマージンを取ったので、手広くやろうと5月は色んな本を読んだが、本当に手広すぎて何にも物にならなかった。何らかの方向性がないとダメだと、一つ決め打ちをしたら予想外の方向に伸びて、もしかしたら長編になるかもしれないと注力することにした。輪郭はもう捉えている。仮題は『流星を打ち砕け』だ。『世界が終わる日~人生最悪の48日間~』というアイデアもあったが、世界が終わらないのでボツになった。
オペラント条件付けという心理学の手法がある。俗にいう飴と鞭だ。小説が4000字以上書けたり、ノートかプロットを4ページ以上書けた日は近くにある自動販売機でジュースを買うことにしている。正の条件付けだ。しかし、目標の分だけ書ける日は少ないので、この行動は強化されていない。
そろそろプロットラインを書く頃だという予感はあるけれど、書き出せない。たぶん失敗することを恐れているのだ。そしてそれはたぶん正しい。私はプロットラインを書き切れない。こういうのは何回も引き直しながら完成させる物で、書ききれなかったところから、また新しい切り口を発見しながら書いていくものだ。最初の一回でプロットを引けたことなんて今まで一度も無い。しかし、それは理屈で、感情では失敗することが分かっているから一歩踏み出せずにいる。
というのを雑感帳を書いていて気付いた。それならルールを変えればいい。プロットの完成を目的にするのではなく、失敗することをゴールにする。それでチャレンジを恐れないようになる。何度でもトライできるようになる。
という自己啓発書みたいなアプローチも失敗する。
結局はいつものように失敗を受け止められるようになるまで、心の余裕ができるのを待つしかないのかとも考えたが、そこでふと上のオペラント条件付けを使えないかと思い、全然書けなかった日に自動販売機でジュースを買って飲んだ。いやいや、失敗に報酬を与えるとダメなるのではないかと思われるだろう。もちろんダメだった。次の日もプロットラインを引けなかった。
書けない原因は失敗するからではなく、失敗を予想するところにあると私は考えた。失敗→ジュースではダメで、失敗=ジュースでなければならない。パブロフの犬だってベルでよだれを垂らす。というわけで私はプロットを書く前に、今日はプロットラインを引き切れなくてジュースを飲むという想像をした。冷たく甘い感覚が口の中を通っていくイメージをする。すると、その日はプロットラインを引けた。次の日は、もっとうまく引けた。こうして先週は全体のプロットラインを4回も引けた。未だにプロットは書き切れていないが、書き始める前のプロットラインとしては今までで一番引き直した数が多い。しかも1週間で4回も引いたのは初めて。前代未聞の大快挙からして、たぶんこのアプローチは間違っていない。
失敗予期にジュースを飲むところをイメージすれば、ジュースは飲まなくてもいいのではないかと予想したが、一度だけで効果がなくなった。あるいはたまたまその日が書けない日だったのかもしれないが、たぶん学習したのだろう。『妄想に騙されるな』と。やっぱり失敗にはジュースが必要だ。自分に嘘をつけるのは一度だけ。
追記:なぜ報酬がジュースなのか。甘さは確実に効果があるから。現代人に肥満の悩みが尽きないのが、その証拠だ。最初はチュッパチャップスだったが、よだれでべろべろになった棒がゴミ箱にたまるのが嫌だからジュースにした。でもチュッパチャップスでも大丈夫だろう。
追記:たぶん書けたことに報酬を与えても正のフィードバックはない。夏目先生も毎月たくさん給金を貰っても書けないものが書けるようにはならないと言ってたし、私もそう思う。2兆円くれても、いま胸の中にあるものを書けるとは思えない。お金に目がくらんで「これが正真正銘偽りのない私の小説でございます」とごまかすかもしれないけど。
登場人物を減らす
小さな話はいくつもある。それがひとつの物語としてまとまらないというのが先週の悩みだったが、とうとう点と点のカオスな集まりが、線と線とで結ばれ始める瞬間が来た。奇跡を目の当たりにしたように肌がざわめく。何でこんなことが起こるのだろうと自分でも不思議に思う。小説は考えて書けるところもあるけれど、何故それを書いたのか自分でも分からないというところもある。そしてそういうところが物語に重要な繋がりをもたらしている。持て余したセンテンスをどうにか活かそうと無意識で奮闘したとも考えられるけれど、私はそこにあるべきものが理屈を超えた何かで現れたのだと私は信じたい。時間、宇宙、全てを統括する神様がいるかどうかは分からないけれど小説の神様はいるような気がする。小説は書くのではなく発見するものなのかもしれない。
プロットの内容がかなり詰まってきたので登場人物を減らしていくことにした。たとえば人間の裏と表で二つ。平常と異常で二つ。2×2で4つの面がある。一人一人に役割を与えることもないし、一人の人間に色んな面があるば深みも出る。そうやって人を削っていくと、後半に出てくる人間が一人を残して、みんな消えてしまった。私は4人の人間の生きていく姿を書くつもりだったが、その目論見自体が消えてしまったので、小説全体の基調も変えざるを得なくなり、もしかするとこれは間違っているのではないかと思い始めたが、過去のノートやプロットを読み返すと全体のプロット変更は日常茶飯事で特に執筆に取り掛かる前だと、全然違う話になるのは珍しくもないということを思い出したので、一念発起してプロットラインを引き直した。引き終わると最初からこういう小説になる運命だったとしか思えないほど良いプロットになった。しかし、プロットは変わり得るものという前提を思い出すと、またひらめきが降ってきて、さらにもう一回引き直した。やっぱりまた良くなった。先週は同じプロットを何度も引いて煮詰めたが、今週は何回も生まれ変わらせた。
だからといって先週やったことは無駄ではなく、先週の溜めがあったから今週の飛躍があったのだと思う。無駄になった物は無駄ではなかったのだ。
ノートへの仮書きを始める
プロットラインは引けたのだけれど、最後の最後までは引ききれない。遠い場所にあるものはぼんやりとしか見えないからだ。その代わり近くにある物ははっきりと見える。冒頭はもう書き始めるしかないというぐらいプロットがみっちりと詰まっている。
ノートに仮書きしてみると、そこからまたプロットが湧き出てきた。とはいえ全体のプロットではなく、精々目前の2、3千字分ぐらいだ。近くを見ると遠くは見えなくなる。当たり前のことだ。全てを平等に見渡すなんて天才にしかできない。才能がないなら一歩ずつ歩を固めて、愚直に時間をかけるしかないのだ。
ひらめいたことをプロットラインに書き足して、また冒頭から書き始める。こうやって最後まで仮書きしていけばプロットの最後も何かしら湧き出てくるだろう。根拠はないけれど今までがそうだったから今回もそうだと信じるだけだ。本当はプロットラインを最後まできっちりと書きたかったが、引き切る能力が私にはないらしい。でも最終的にはきっちり引けている。と私は信じる。
100点満点なんてなかなか取れない
プロットラインを引きながらとはいえ、仮書きなので執筆ほど強度は高くない。だから一日に4ページは書けるはずという目論見はあるが2ページも書くと、もう力尽きてしまう。いつもこれが不満だ。でもたぶん4ページというのは自分が持っている力を100%出し切れたらという想定で、5ページ書けるはずだとは考えたことがないし、実際に考えてみると絶対に無理だと感じる。やはり4ページというのは私の最大限なのだ。でも4ページは書けるはずだし、書けたことも何回かある。絶対に書けない量ではないのだ。
とはいえ実際は2ページ、あるいはそれ以下という執筆量で限界がくる。冷静に考えれば毎日最大限まで力を使い切れるはずがないのだけれど、どうにかすれば書けるはずだという気持ちは離れない。ブラック企業みたいな考え方だけれど理屈と感情は別物なのだ。
でも50点の日が続くから死なないで済んでいるのかもしれないということを考えた。途中で死ななければ、いつか最後まで書ける。毎日100点を取ることが目的ではなく、小説を書き上げることが目的だ。小説の出来で100点を取ればいい。と、自分を慰められるのは一時だけで、やっぱり1日の終わりは(今日も書けなかったなぁ)で終わる。
言葉は他人のため
ポロの歴史の本を読んでいると『ポロ』と呼称されるものはイギリス発祥だが、馬に乗って球なり獲物なりを追って、棒で叩くという競技は世界中にあるそうで、wikipediaには世界で最も古い歴史を持つスポーツと書かれているぐらいだ。極東の島国である日本にさえ伝わり、平安時代より前に中国から撃球が伝わり打毬(ポロ)になったという説がある。
元々イギリスに『ポロ』はなかったが、インドから輸入した騎乗の球遊びは貴族や軍人達の間で大流行していた。明文化されたルールはなく、お互いの空気を読んでプレイするスタイルだったが、別のグループとプレイする時はお互いの勝手が分からないのでルールを明文化する必要があった。そうやって誰でも分かるルールができあがっていくと、ポロが遊びからパブリックなスポーツに変化していった。
私が面白いと思ったのは身内同士でプレイする時はルールを明文化する必要がなかったというところだ。私が思うに、何を喋ったかは分からないけれどめちゃくちゃ喋った。というのが最上のコミュニケーションだ。心と心が通い合うなら言葉は必要ないのだ。小説やマンガだと人間の考えていることが言語化されているけれど、実際は言葉未満のところで考えているのが9割で、言語化されているのは極僅かな領域でしかないと常々思っているし、言語化するにあたってどこか嘘やごまかしが混じっているような気もしている。
小説は書く前が一番良くて、自分の胸の内にある時が最上で、書くごとに価値が損なわれていくような気がする。そういう意味で、やはり詩が文学の王様だと私は思っている。ただし言葉が少ないのと言葉が足りないのは全然別物で、詩を書くには天分に恵まれなくてはダメだ。
二昔前、新入社員に求められるのはコミュ力だとテレビでもネットでもさんざん言われていた。その時に本当のコミュ力とは何かというのを語る人もいて、そういう人は概して相手に物事を正確に伝える力がコミュ力だ、という論調だった。しかし、後の時代に言われたことは空気を読め、だったことからして、その時も、そして今も求められているコミュ力とは伝える能力ではなく合わせる能力で、言葉なしにポロをプレイするように言葉なしに仕事をしたいのだ。理想を言えば、言葉なしに話をできるのが最上のコミュニケーションのように、言葉なしに協力し合える関係が最上だろう。しかし、そうできない時は言葉が必要になる。
沈黙は金、雄弁は銀。という格言があるように、言葉なしに価値はあるけれど金は金庫に眠っているだけで、世界に流通するのは銀の方だ。先の格言はカーライルというイギリス人のもので、欧米でも、やはり言葉にされないことの価値を認めているのだろうが、それでもなお言葉多く語るところに欧米文化が広まった要因があるのではないだろうか。金持ちよりも、金銀持ちの方が豊かなのだ。
それを言っちゃおしめえよ、ということもあるけれど、それでもなお言葉にしていく狡知さというのを身に着けたいと最近は思う。イギリス人はジョーク、それも皮肉が利いたブラックジョークが好きというのに秘密があると私は思っている。シェイクスピアの道化が真実をおどけて言うようなものだ。剥き出しの真実は人を傷付けるが、避けてばかりいてもリア王みたいに破滅が待っている。
日本では意見=敵対と言われているが、リア王でも三女はありのままの気持ちを言ってしまったために国外追放となり、最後は死んでしまう。ごまかしを言い続けた長女、次女も最後は死んでしまうが、道化は最後まで生き残る。真実の口に災いが飛び込んでくるのは洋の東西を問わないが、ごまかし続けるのも難しい。嘘をつかない、正直というのは美徳のひとつだが、美徳を持っているからといって生きられるとは限らない。欧米人がジョークを言う印象があるのは、嘘をつかずに生きていくために編み出した一つの作戦なのかもしれない。
追記:ちなみに最低のコミュニケーションも、何を喋ったかは分からないけれどめちゃくちゃ喋った。だろう。二つを分けるものは伝わったか伝わらないかだけど、両者で伝わったり伝わらなかったりするものは何だろうと考えると、陳腐な言い回しだが『心』ではないだろうか。
追記2:後になって人が真実を口にするパターンを思いついた。それは強い人が弱い人の隠しておきたい真実を暴くことだ。この場合は殺されるのが弱い人になる。しかし返す刀で殺されることも、やはりあるかもしれない。恨みを買うのは恐ろしいものだ。
自分の限界の中でどうやって書いていくか
仮書きで最後まで書こうとしているのだけれど、それでもなかなか進まない。一週間でようやく3分の1が終わりそうな感じだ。熱帯低気圧が来た日は全然書けなかったけれど、次の日はいっぱい書けて、このまま最後まで書けるんじゃないかと思いきや、やはり4ページで筆が止まった。5ページ目の9行目で言葉が出なくなった。そのまま半時間ほど過ごすと涙が出てきた。もうこれから先、小説は書けないんだと思った。そう思いながらも日が変われば、また書けるようになるとは思っていた。世の中に絶対は無いけれど、今までがそうだったのだから、今回もそうなるという確信に近いものはあった。
小説を書いている時は言い知れぬ高揚感もあるが、それと同じくらいストレスに悩まされる。これが大いに執筆の妨げとなっているのは疑いようがないので、最近は自己啓発本を読み漁っている。
ある本に、西洋文化は期待の文化である、期待を目指して走り続けるが、期待はいつも未来にあるので永遠に手に入れられず、常に不満足を抱えることになる、的なことが書いてあって感心した。
確かに小説を書こうとしていない時は小説を書けない悩みは存在しない。新刊をリリースした後なんかは空が鮮やかな青に見えるほどだ。その本には期待を抱かないことが心を軽くすると書いてあった。そこで私は立ち止まった。恒心無くば恒産無しという言葉がある。小説を書こうとするからには、小説が書けることを期待しているわけだ。小説を書こうと思わずに小説を書くにはどうすればいいのか。ヨガの賢者なら小説を書くのをやめなさいと答えるだろう。まったくの道理だ。私もそう思う。そうしたら楽になれるだろう。
書きたいという欲があるから苦しむ。苦しいのは嫌だ。でも小説は書きたい。執着心が自分を苦しめる。それでも書く。書ける瞬間もあるが、期待していたほどではないので不満足を抱える。
ヨガの賢者の言葉が頭をよぎり、書けていた時を思い返す。彼の言うことは真実かもしれない。書けている時は書こうとは思っていない。期待も不満もない。時間の感覚も消え失せ、どこまでも書いていけるような気がして、この感じが永遠に続くなら、どんなものでも書ける気がした。またたく間とはいえ、そんな境地に至れたのは書こうとしていたからだ。やはりここで大きな壁にぶち当たる。書こうとせずに書くにはどうすればいいのだろう。矛盾である。
もしヨガの賢者が小説を書こうとするならどう解決するだろうかと考えてみても想像がつかない。ヨガの超自然的な力で書けるような気もするし、書くという欲を消して書かないのかもしれない。あるいは、どちらも悟りが何たるかも分からない人間が考えたことで、私が思いもよらない解決法を見出すのかもしれない。むしろそうであって欲しい。書けない苦しさを無くしたいのなら書こうとしなければいい、なんて見も蓋もない。生きる苦しさを消すには死ねばいいと言ってるようなものだ。しかしヨガの賢者は死なずに生きているのだから、そういうことではないのだと信じたい。
解決法はきっとある。書こうとせずに書く方法はある。しかし私には得られないものだから、毎日期待して裏切られて、そうやって書き続けていくしかない。小説は甘い苦しみ。もしかすると本当は逃れることを求めていないのかもしれない。
追記:ヨガの賢者と似たようなことを『吾輩は猫である』で八木独仙先生が消極的修身のことで話していた。しかし苦沙弥先生は積極的にしろ消極的にしろ結局どうにもならないわけで猫のように水甕の底に往生するのが正解なのかもしれない。
言葉と数字の扱いはいつまでも慣れないものらしい
もう何年か小説を書いているけれど、いまだに手を付ける時はドキドキする。恐いと思う時もあるし、そのまま手を付けられない日も年に何度かある。もしかすると小説を書くのに向いていないんじゃないかと思う時があるけれど、この前読んだ本に、文字を扱うことと数字を扱うことはどれだけやっても慣れが起きないと書いてあった。大学の偉い先生でも、一般人の被験者でも、簡単な足し算引き算をする時は脳を全般的に使うそうだ。音読でもそれは同じ。
な~んだ。それじゃあいつまでも小説にビビッているのは正常なんだと分かった。むしろビビらなくなった時の方が危険だ。振り返ってみても、こんなの書けるはずがないと震えながら書いている時の方がうまく書けているようなもので、こうして毎日内臓が削れていくような気持ちでいる時の方がかえって小説はうまくいっているのかもしれない。
恐がることを恐れない。そういう境地が大事なのかな。
正義を背負った悪行
日本の神話にこういう話がある。太陽の神アマテラスの弟、スサノオは神々が住む高天原にある田んぼのあぜを壊したり、溝を埋めたり、食卓でウンコをしたりして、困り果てた神々はアマテラスに彼の悪行を報告する。しかしアマテラスは怒らなかった。これには理由がある。
元々スサノオが神々の住む高天原に入ろうとした時にはアマテラスもスサノオが高天原を奪い取ろうとしているのだと思って、武装して出迎えるほどだった。しかしスサノオは三人の女神を生んで悪心がないことを証明したのでアマテラスは信用した。神々が彼の悪行を報告しても彼女は「悪心はないのだから」とかばうほどである。
しかし調子に乗ったスサノオが皮を剥いだ馬を織屋に放り込んで、驚いた機織女が死んでしまうと、アマテラスはかばいきれなくなり天の岩屋に隠れてしまう。
もしスサノオが女神を生んで悪心がないことを証明していなかったとすれば、アマテラスも彼を殺していただろう(日本の神様は死ぬし、殺される)。しかし、悪心がないというのでアマテラスは困ってしまった。田んぼを壊すくらいなら許せても、機織女が死んでしまうと「まぁまぁ、あいつも悪い奴じゃないから」とかばいきれなくなった。かといって裁くこともできず、神々も困り果てる。もう岩屋にひきこもるしかないというわけだ。
これと全く同じというわけではないが、言っていることは素晴らしいのに、言葉抜きにやっていることを見れば悪行そのもの、ということは世の中にある(正しい人を敵にまわしたくないので何とは言わないが)。しかしそれを指摘すれば「何か間違っていますか?」という答えが返ってくる。正しいとは言えない。間違っているとも言えない。だからどうにもできずに黙って見ているしかない。こうして素晴らしく正しい理由で悪行が重ねられていく。はたしてこういう奇妙なねじれにはどう対処すればいいのだろう。アマテラスは岩屋にひきこもったが、それにより世界は闇に閉ざされてしまい、悪い神々が勢力を伸ばしてくる。放っておいてもダメなのだ。
この神話には続きがある。神々はアマテラスを策略にかけて岩屋から引きずり出すと、合議の上でスサノオに罰を与えることにした。スサノオは身に着けた物を取られ、ひげを切り取られ、おまけに手足を爪を剥ぎ取られるというひどい罰を受ける。アマテラスがどうしたとは書かれていないので今度ばかりはかばわなかったようだ。正義を背負った悪行も後ろ盾を失うと、やはり悪行は悪行として裁かれてしまうのだ。
ちなみにこの後のスサノオだが、早速ごちそうを食べさせてくれた女神を切り殺している。だが、さらにその後はヤマタノオロチを退治してクシナダ姫を救ったりもする。神様なら神社の奥に祭っていればいいが、こういう困った人はどうしたらいいのだろう。スサノオの例にあるように祭り立てても調子に乗るだけだが、殺してしまえばヤマタノオロチを退治する者がいなくなる。いや、そもそもヤマタノオロチは本当に悪だったのかということもある。そんなことを考えていると何だか分からなくなってきて、天の岩屋にひきこもるのが正解のような気がしてくる。
しかし、もしかするとこんなことを書いている私自身が正しいと思い込んでいて実は他人から見るととんでもない悪行をやっているのかもしれない。もしそうなら後でひどい罰を受けるだろう。スサノオの例を見れば、自分の正しさが証明された時ほど危険なようだ。
追記:悪を背負った善行というのもあるのかもしれない。
ようやくプロットラインを引き終える
ようやく仮書きを3分の1まで進めた。同時進行していたプロットラインはようやく最後まで引けた。これでスタートラインが見えてきた。ゴールラインではない。本文にはまだ手をつけていないのでスタートさえしていないのだ。
ノートの日付には2019年6月20日から仮書きを始めて、7月5日の日付で3分の1を超えた。この計算だと仮書きを終えるのがお盆前だ。そんなにかかるのかと気が遠くなるけれど、ちょうどいいかとも思う。とことん時間と手間をかけられるだけかけるというのがseason3からのテーマだ。これだけ時間をかけて仮書きして、そこから小説を書き始めるなんて、自分でもおかしいと思う。『山桜』の執筆で仮書きしても執筆が楽になったり早くなったりはしないと分かっている。でも仮書きしておくと今までとは違う何かが出てきたような手応えがあった。だから、とことんやってやろうと決めてしまった。最近はこんなことはやめて書き始めようという誘惑に駆られる。今日だって、3分の1も書けば『山桜』と同じように本文を書きながらでもできるじゃないかと思った。そこから先へ進むのに半時間ぐらい躊躇した。
小説の出来は目に見えないものだ。ノートも雑感帳もやめて小説一本に絞れば1日4000字で書けるのは分かっている。でもそれだとどこかボヤッとしているのだ。そう感じるのは気のせいかもしれない。あるいは本当にそうかもしれない。自分の感性以外に判断するものはない。だから理屈で考えるようになると、絶対に今から書き始める方が正しいとなるし、それを否定できる根拠も材料もない。
しかし、だ。結局のところ小説の善し悪しを決めるのは行間という字義通りに取れば文字と文字の間にある空白で、何の実体もない。何を書いた、どう書いたなんてのは本質の周辺でああだこうだ言っているだけで、否定しようが肯定しようが、それがどうしたということでしかない。と、私は思っている。
一番重要なのは行間で、何の実態もないけれど存在するもの。これを信じられないのなら何を頼りに小説を書けばいいのかということも考える。いや、考え始めると、今から小説の本文を書き始めなさいということになるのだが、そこをあえて書かずにノートを開いて、ああだこうだとあがいている。あがいていれば、そのうち何かしら出てくるのだから面白いものだ。毎日何をやっているんだろうと徒労感があるけれど、一週間を振り返ると、自分でもなかなか感心するぐらいのものを書き溜めている。
もっとも、そういうことをしみじみと味わえるのは、こうやってノートを脇に置いて、小説から離れている時だけ。
今回の執筆は書くことを耐えることだと思う。もし、小説を書かずに仮書きで最後まで書ききれたなら最終的に何かしらのものが出てくる予感がしている。でも、もし耐え切れずに書き始めたら、せいぜい『山桜』程度になるだろう。私はもっと凄いものを書きたい。欲深いのだ。
お盆前に終わるといいな。
海岸がない!
『流星を打ち砕け』は徳島県を舞台にしているのだが、ふと徳島県の地図を開いてみると、小説に出てくる海岸があるはずの場所に角ばった土地がある。埋立地のようだ。私の頭の中にはてっきりそこに海岸があるものだと思い込んでいた。このままだと、今思い描いている小説が書けない。今まで一度も止まらなかった筆が一週間止まった。どうしようと思い悩んで、これは実際に目で見ておかなければならないぞと車を走らせた。
私が思い描いていた海岸は、想定していた場所よりずっと北にあった。吉野川を越えなければならない。海水浴に来ている人はまばらで、突堤でキス(魚の方)を釣っている人と同じくらいしかいなかった。それにひどく狭い。頭の中と同じだったのは砂の感触だけだ。
そもそも最初は海岸なんて無いんじゃないかと思っていた。吉野川を越えてから海沿いは二階建ての家より高い堤防で覆われていて、しかも工事はまだ続いていた。海岸なんてありそうな雰囲気ではなかったが、堤防沿いを走っていると、だしぬけにわき道が堤防の上に伸びていて、そこを登ると草むらの向こうに突然海岸が姿を現すという感じで、てっきり工事で無くなっていると思い始めていたから驚いた。海水浴に来ている人が少ないのは、冷夏だからじゃなくて、こういうところに原因があるんじゃないか。
それから想定していた海岸があるはずの場所にも行ってみた。そこには周りの建物より高い橋桁がいくつも建っていて、ずっと遠くまで続いている。先の方にはクレーン車がいくつも立っていた。どうして海岸線沿いに橋桁があるのだろうと不思議に思い、交通整備をしている人に何ができるのか訊いてみると、高速道路ができるのだそうだ。
埋立地の海岸を見にも行ったが、埋立地に海岸なんてなくて、徳島県だと高層建築トップ100を争える護岸壁が陸地の端を覆っていて、その向こうの絶壁には波消しブロックが置かれているだけだ。帰りには埋立地側から海岸を見た。海は川のように狭く、海岸は石を組んだ護岸壁になっていた。あとで調べると、その海も埋め立てられて、埋立地と陸続きになる計画だそうだ。
家の近くまで帰ってくると、ふと自分の町の海岸はどうなっているのだろうと気になった。海沿いに住んでいるとはいえ、海岸からは離れた場所に住んでいるので、もう10年以上見ていない。
海岸は綺麗に整備されていた。護岸壁は見上げるほど高くはなかったが、タイルで装飾され、遊歩道までついていた。休憩所まである。そして海岸はどういうわけか狭くなっていた(←これは大人になったからかもしれない)。
私の頭の中にある海岸は現実には存在しなかった。徳島県という設定を変えるべきかとも思ったが、海岸らしい海岸なんてもう日本には存在しないのかもしれない。
どうしようかな、と頭を抱えていると、ふと現実でなくてもいいなじゃないかと気付いた。小説だから実際の徳島県と同じにする必要はない。というか徳島県でなくてもいい。架空の県でもいいわけだ。すると、あれもできる。これもできる。と今まで頭の隅でひっかかっていたことが次々と解決して、これなら書けると、ふたたび筆を持てるようになった。
書くために書かない日を作る
ノートに仮書きを始めて、現実に海岸がないことに気付くところまでは一度も止まらずに書いてきたが、とうとう1文字も書けない日が続いた。1日ぐらいなら、そういう日もあると思えないこともないが、2日続くと暗いことを考え始める。それでも雑感帳は書けるもので色々暗いことを書いていると、ふと1ヶ月以上書き通しであったことに気付いた。
小説を書いている時は一ヶ月に一度最悪の絶不調期がきて、そこでこじらせると一ヶ月以上書けなくなるので、一ヶ月に一度一週間書かない日を作ってみると、書けない日がなくなり、かえって書く早さが上がったということがあったわけだが、仮書きの場合は小説より強度があまり強くないので油断していたのかもしれない。
それで試しに一週間書かないでいることにした。仮書きで一ヶ月以上かけたことがなかったので初めての経験だ。もしかしたら一週間後は本当に書けなくなっているかもしれないと不安だったが、いざ蓋を開けてみると、あっさり書けてしまった。寝不足の日でさえ4ページも書けた。魂が上げ潮に乗っている感じがあって、これでしっかり眠れた日はどれだけ書けるのだろうと自分でも空恐ろしくなるほどだ。
書けない書けないと常に思いながらも後ろを振り返ってみれば、もう予定の3分の2まで辿り着いていた。毎日進めずに立ち止まっているようでも、一週間、一ヶ月の長さで振り返れば、ぞっとするほど遠い距離を進んでいる。お盆までには仮書きが終わるといいな。
西洋かぶれでもなく、懐古主義でもなく
昔から新潮文庫の作者がカタカナの本ばかり読んでいた。私の文章が翻訳調と時々言われるのは、そういうところに理由があるのだろう。日本の作家はなんとなく肌が合わなくて避けていたし、有名だから一応読んでおこうと太宰治の『人間失格』を読んだ時はムカついて本を枕に投げつけたことがある。いま読み返すと何に怒っていたのかはさっぱり思い出せないけれど、体中にどす黒い怒りがうずまいていたことは憶えている。そのくせ枕元に置いた卓上スタンドの白熱灯に照らされた枕と文庫本や、背中にかかった冬布団の重みは今でも鮮明に思い出せる。よくよく考えると本を読んであそこまで頭に血が上ったのは後の先にも『人間失格』だけなので、やっぱり凄いのではないか。
前作『山桜』は古きよき日本の心、大和魂的なものを書こうとしていた。しかし、大和魂に関する和歌をいくつ調べたり読んだりしても、大和魂というものがどうしても実感として掴むことができなかった。そうして分からないまま最後まで書いてしまった。やり残した感じがあったので今回もやはり日本的な何かを書いてみようとしていたのだけれど、どうも間違った道へ進んでいるような感じがした。
そこでふと思った。過去において日本的なもの、大和魂はあったとしても、今はもうここにはない。仮に過去の歌人なり偉人なりが現代で詩を読めばまた別の詩を詠んだはずだ。日本は東洋に分類されるが、西洋文化も当たり前の様に存在している。あえて考えなければ東西に分けて考えることすらない。その中で西洋と切り離された純日本的な何かが存在し得るとはとうてい考えられない。しかし、東西の境がないかといえば、それも違う気がする。混じり合ってはいても、どこか混じり合わないところもあるような気がする。それが何かは分からないけれど、その分からないところこそが本当の大和魂であり、私の中にある本当の個性かもしれない。
一体何を言っているのかよく分からないだろうが、そういう訳の分からなさと向き合って小説を書いていこうと最近は考えている。そしていまのところそれは何かをがっちり掴んだという感覚がある。訳が分からないものをがっちり掴んでいるというのは矛盾しているが、私の中では矛盾したまま正しいという奇妙な感覚がある。
夏目先生と同じ事をしてしまう
ある本にたまたま夏目先生のことが書いてあって、先生は『明暗』を書いている時は執筆のあとに絵を描いていたそうだ。実は『流星を打ち砕け』を書く前に『明暗』を読んでいて、何故かノートを書いた後に絵を描くようになった。たいていは何かの紙の裏側に書くが、フォトショップで描くこともあって、この記事の途中でたびたび出てくる絵は、そういう時に書いた絵だ。知らず知らずのうちに先生と同じ事をやっていることを知って、ちょっと恐くなった。血を吐いて《未完》で終わったらどうしよう。でも私は先生と違って胃を悪くしたことはない。そういうところはなぞらないはずだ。
プロットを書き直す
お盆の間はずっと書かないでいた。お盆の前はプロットを書き直していた。だから仮書きは3分の2から進んでいない。『後からひらめいたことは絶対に正しい』という信念で二年前から書いているが、今回は本当にそれでいいのだろうかと悩んでばかりだった。徒然草で碁を打つ人が3つの石を捨てて10の石を得るのはたやすいが、10の石を捨てて11の石を取るのは難しいと書かれているが、まさにそうだった。おまけに10の案は一ヶ月以上、これを書くと思いながら見ていたものだから、もう元の案で良いのではないかと毎日悩んで、それでも新案の方が絶対に良くて、それでもなお悩んで、さらに新案を書くと、それもまた良い物で、というのを繰り返して、迷いが多かった。
そんなこんなで11を13ぐらいにはできた。そこまでいくと、ようやくこれにするべきだろうと思い定められるようになった。5月からずっとノートに仮書きを続けてきたが、これだけ停滞したのは初めてだ。また書けるようになるだろうか。
一日はドラマチック、一ヶ月は物理現象
最近はあんまり書けなくて、カレンダーに記した書いたページ数を計算していると、奇妙なことに気付いた。6月からノートに仮書きを始めたわけだけど、一ヶ月に書ける量には当然増減がある。でも、あえて書かなかった日、プロットを書いていた日を除外すると一ヶ月に書ける量はほとんど同じだった。だいたい一月33ページを前後している。20とか40とか十の桁が変わることはない。
書けても書けなくても毎日の執筆はドラマチックだが、一ヶ月の間では統計的平均値に収束する。確率的には物理的予測ができる。たぶん9月には仮書きが終わるだろう。そして後もう一回は筆が止まる時が来る。放射線物質がいつ放射線を出すかは分からないが確率的には予測できるのと同じ。まるで量子物理学だ。執筆は物理現象なのかな。それはそれでドラマチックだけど、それも科学的な謎がある間だけで、いつかは小説も科学で捉えられるようになれば、とてもつまらないものになるかもしれない。あるいは今とは全然次元が違う小説が出てくるのか。極限まで煮詰めた純粋小説というのに一度は触れてみたい気もする。
当たり前の物理現象から引き出されるストーリー
8月の最後になってとても書けるようになった。あまりに書けるので自分でも驚くほどだ。1日の延べ平均が2ページなのに、ここ最近は毎日4、5ページ書けていると言えば凄さが分かるだろう。あまりに書けるので、もしかすると私は小説の極意を会得したのではないかと考えたり、はたまたちょっと涼しくなったから頭にも良い影響を及ぼしているだとか、コーヒーの銘柄を変えたせいとか色々考えたのだが、ふとカレンダーを見て、お盆から2週間経っていることに気付いた。
私はあえて書かない期間を設けているのだが、その期間が終わってから10~15日の間に何故かとても書ける期間がある。絶対とはいえないが10分の9の確率だ。だからこれは当たり前のことが当たり前に起こっているだけなのだ。
ということに気付いてもなお、私はやっぱり別のところで小説家として何か極意のようなものを得ただとか、コーヒーを変えたのが良かっただとか、何かしらのストーリーを信じている。統計的にはこれから15日かけて徐々に書けなくなり、ある時ど~んと書けなくなるのだが、そんなものは一生来るわけないと思い込んでいる。事実から予想されるものと、心が見る未来は違うものだ。どちらが起こる確率が高いかといえば間違いなく統計の方と私の頭は答えを出すし、それはきっと正しいのだが、私の心は絶対にそんなことはありえない、今まではそうでもこれからは違う、私は小説家として一つ上の境地に辿り着いたのだから、と信じている。本当にそうだといいな。
前代未聞の100ページ目に突入
仮書きがついに100ページを超えた。今まで書く前に仮書きをしたことも、書いている途中に書いたこともあるが、これだけ書いたのは『流星を打ち砕け』が初めてだ。小説を一冊書く手間で仮書きして、本文がどれほど良くなるのかと考えると、壮大な無駄を費やしている気がするけれど、事前に仮書きしておけばかなり良くなるし、書いている途中でも良くなることは分かっている。シーズン2まではとにかくたくさん書くことを目標にしてきたが、シーズン3はベストを尽くした時にどこまで質を高められるのかという方向性で動いている。たぶんそこそこ良い感じの小説になるんじゃないかなと密かに期待している。もっとも、今までで最高傑作だと自負している『真論君家の猫』は世間的に全然受けていないから、こんなに期待を上げても空振りに終わるかもしれない。でもやっぱり自分の中での最高傑作というのを目指していきたい。
ノートは執筆中も書くから、この小説を書き終わった時には間違いなく200ページを超えるだろう。もしかしたら書く前に超えるかもしれない。無限に書き続けるんじゃないかと思うけれど、経験上そう思い始めた時はもうすぐ終わるときだ。プロットラインを見てもそろそろ終わろうとしている。
自分の限界でどこまでやれるか
先週もけっこう書けて、このまま無限に書き続けられるのではないかと思っていたが、やはりそううまくはいかないようだ。先週書けたぶん、今週はボロボロだった。長期的には収まるところに収まる。私が書ける量は変えられない。
今でもどうやったらもっとたくさん書けるのかは考えているが、何年も同じ場所をうろついていると、ここが自分の領分なのだとも思う時もある。世の中には1日1万字以上書く人がいる、プロは4000字書くという、あの人は昨日ツイッターで12000字書いたと言っていた、とか色々あるけれど、今書ける分を前提に考えれば一生に書ける量も推定できてしまうので、何でも書いてやろうなんて欲張らずに、何をどう書いていこうかという考えることが多くなった。
永遠に書き続けられるわけではないし、そもそも今ここに流れ星が落ちてきて死ぬかもしれない。これが最後どころか、途中で終わることもあるのだ。もしたくさんの人に読まれているのなら、とにかくいっぱい小説を出していこうと考えただろうけれど、幸か不幸か牛野小雪は世間的には存在していないも同然で、読者の期待なんて背負っていないし、原稿を待つ編集者もいないし、今日消えても誰も困らないのが牛野小雪という小説家だ。でもだからこそ自由。何をどう書いたっていい。小説を書かずにノートに仮書きをしたっていいのだ。6月から書き始めているが、まだ終わらない。10月には終わるだろうか。ほぼ半年もかかっている。でも、そういうやり方でいくと決めたのだ。最後までやる。
何もないところから生まれてくる小説
今週は、今日で終わりかと思いつつ書き始める毎日だった。しかしまだ全然終わらない。プロットを見ると書くことは、ほとんど残っていないのに文章がほとばしってくる。1日の終わりに「これ終わらないんじゃないか」と独り言をつぶやく時もある。けど、本当に少しずつだけど、プロットは寸刻みに短くなっている。いくら文章がほとばしっても無限に続くことなどありえないのだ。
元々のプロットの終着点は先週に通り過ぎた。そこで終わらせれれば綺麗に締められるので、どうしようかと迷った。でも、数ヶ月前に、今までと同じように書いても仕方がない。何か新しいものをと悩んで悩んで悩み抜いた末にひねり出したプロットだから、ここは勇気を出して書いてみようと決意を新たにした。どう出るかは分からない。でも、毎日ボールペンをペン立てに戻す時はドキドキしている。こんな小説本当に書けるのだろうか。
ピリオドの後ろから出てきたプロットだ。本来は書くはずがなかったところから、どんな小説が出るのか自分でも分からない。でもこれを思いついた時はとんでもないぞ、と胸が泡立った。それと同じか、超えるようなものが書けるといいな。
仮書き終わり
ようやく仮書きが終わった。2019年6月17日に書き始めて同年10月8日に164ページで終了。約4ヶ月。これからまたプロットを引き直して、今度は本執筆を開始する予定だが、まだ書くのかと疲れを先に感じた。一ヶ月ぐらい休養した方が良いのかもしれない。
仮書きの最後は『これ以外を書け!』と書いた。これ以外の物が本当に書けるのだろうか。もう一仕事終えたようで何にもする気が起きない。
今さらながら本当のスタート
ずっと何も書かないでいたら、やる気が出てきた。というか何も書かないでいたらというが私小説を書いていた。今年は私小説がマイブームだ。西村賢太の動画を見ると、いつも何かしら発見がある。本当に書かなかったのは二日だけで何かしら書いていないと不安になるようだ。
今回の小説は一人称で二つ(三つかも?)の視点を行ったり来たりする予定だ。だから章タイトルで視点の変更を示唆して主語は私一本で押し倒す。『聖者の行進』と似たような進め方だが、話の内容は違うだろう(たぶん)。何だか自信がなくなってきた。でも分かりやすいエンドはつけるつもりでいる。順当に読めば途中で下がることはあっても最後はハッピーエンドになるはずだ。たぶん。
wordを立ち上げるのは半年ぶりで、前日から腕がふわふわしていたが、机の前に座るとしゃきっとした。雑感帳には、やってやるぜ!と書いた。2019年10月25日のことだ。冒頭は何度も仮書きしたせいか、ごりごりと書けて1日で7000字も進んだ。あと1日で10月中の目標だった一章は書き終わりそうだ。ただ2章以降から仮書きした回数が加速度的に減っていくので今日と同じペースでは進まないだろう。ということを夜の散歩をしている時に考えていたら、もっと仮書きをしたら執筆もうまくいくんじゃないかとひらめいた。たとえば1日仮書きして、1日執筆してのサイクルで回せて、おまけに今日と同じくらいのペースで進むと仮定するなら1日3500字も書ける計算になる。一章の仮書きは1日で書いたわけではないし、各回の間隔は開いているので皮算用的な発想だけれど、発想の根本は悪くない気がした。もっと書かないことを増やすべきなのだ。
数年ぶりに絶好調
先週からwordに『流星を打ち砕け』を書き始めたのだが、今のところ絶好調である。これだけ調子がいいのは『真論君家の猫』以来だ。ここ数年は胸に重りをつけて書いていた様だったのが、すっかり軽くなった。もちろん所々で調子の良かった時はあったが、たぶんこれは今までとは違うのではないかと疑っている。ということも調子のいい時にはいつも雑感帳に書いている。でも本当にそんな感じがしている。今までと違う書き方をしているから余計にそう感じるのだろうか。
今回はいつもと違う小説を書いている。なんてことはどんな作家でも言うことだ。でも私はこれがいわゆる小説だとか文学に入るものだとは思えない。悪い意味で。もしかしたら推敲で消すかもしれないところがいっぱいある。でもそうしないかもしれない。駄目なものは本当に駄目なのか。あえて書いているというところがある。本当に駄目だったら一年を棒に振った馬鹿ということだ。どうせ駄目なら全力で振っていきたい。逸脱する勇気がほしい。
二週間でプロットの3分の1を書く
今日こそはもう書けないと思いながら毎日めちゃくちゃ書いて二週間でプロットの3分の1を書いてしまった。4万字。プロット通りに進めば三倍の12万字。一応目論見通りの長編にはなりそうだ。
仮書きだと今のところまでが8分の1。それで計算するなら30万字を超えることになる。そんなのに長いの書きたくないと思っていたけれど、思い返してみれば20万字超の物はたいてい10万字くらい、長編に届くか届かないかを目標にしていた物が伸びに伸びてというパターンばかりだ。恐ろしいことにいまのペースだと、それですら来年の一月には書ける計算だ。そんなはず絶対にないとは思っているけれど、とにかく今は調子が良い。今の状態の文章はできるだけ多く書いておきたい。そう考えると今の進みですらじれったく感じられるのだから人間は欲深い。二週間で4万字書けると、今度は8万字が欲しくなる。8万字が書ければ16万字だろう。一年前の私は今ぐらい書けたらどれだけ幸せだろうと願っていたのに、いざその状態になってみると、やはり一年前と同じように不満を持っている。いつまでも幸せになれない。今の自分を手放しで祝福できたらいいのにと思う。一年後にはそうできるだろうか。
不安や恐怖と戦う勇気
一年は早いもので11月もそろそろ終わろうとしている。この小説に取り掛かってから半年以上が過ぎた。夏の頃はまだまだ先のことで、実際にこれを書くのは未来の自分だと分かりきったいたせいか、プロットや仮書きを書くのもどこか気楽だった。しかし今は本番の執筆をしなければならなくなっている。今は書けているけれど、明日こそは書けなくなると毎晩おびえている。しかし不安が強ければ強いほど次の日は書けるようだ。質的な話は主観的なことになるが、ちょっと読み返してみてもどうしてこんな文章が出てきたんだろうと不思議になるぐらい良い。たぶんだけど、毎晩の震えが次の日のばねになっている。だからもし不安になったり恐がったりしなくなった時はきっと書けなくなる。私はこの不安や恐怖を消えることを願うのではなく、これらと戦う力や勇気を求めていかなければならないのだろう。さて、どうやったらそういう強さを手に入れられるのか。それはまだ分からない。今夜もたぶん不安に怯えるだろう。
一ヶ月で9万字。プロットの3分の2を書き終える
10月の末に書き始めて11月の末にプロットの3分の2まで書き終える。ここまで速いとは思わなかった。もしかしたらこれは全部夢で、朝起きたらまだ一文字も書いていないんじゃないかという不安に襲われる。でも次の日にはやっぱり現実だったのだと知り、やっぱり恐くなる。
恐いといえば新聞のコラムにとある直木賞作家が書く前に「俺は書ける。絶対に書ける」と試合前のボクサーみたいに自己暗示をかけていると書いていた。直木賞作家ですら恐がるのだから牛野小雪においてやである。みんな恐いのだと安心した。毎日恐がっていて小説の才能がないんじゃないかと心配していたのだ。
今作は挿絵をいっぱい載せるつもりだ。作中に挿絵をいれるのは『幽霊になった私』以来だ。あれは画像サイトから拝借した写真をフォトショで加工したのだが、今回は自筆でいくつもりだ。といっても『エバーホワイト』みたいなみっちりとした絵で何枚も書くのは無理だし、あそこまで書くと小説のイメージを固定してしまいそうなので、今回は輪郭線だけで表現する。ここまで読んできた人なら分かるとおり、五色のカラーピープルや、途中から出てきた女の子みたいに抽象的な絵を描いている。一節ごとに二枚の挿絵にするつもりだから膨大な量になりそうだ。今のところ16枚まで書けている。これでプロットの3分の1だ。この3倍。いや、残りの3分の3はかなり伸びたからもっと書かなければならないかもしれない。あんまり容量を取るようなら枚数を減らすか、画質を落とすかする。緻密な絵ではないので影響はないと予想しているが。
速過ぎて目が回りそう
今回の執筆はとにかく早い。そろそろ速度が落ちても良い頃合だが、さらに加速していく。一体どうしたんだろう。もし仮書きと雑感帳を書かないのであれば一日一万字書けた日が何度かあった。
何かをブレイクスルーしたとは思っていない。というのも執筆、つまりwordで小説の本文を書く作業の前にたっぷりプロットを練り、雑感帳と仮書きを書き溜めていたからだ。執筆だけを見れば過去最速だが、小説を書く作業全体で見ればいつも通りの速さになりそうだ。エネルギー保存の法則は免れ得ない。
逆にいえばエネルギーさえあれば毎日一万字も不可能ではない。今作よりももっとプロットと雑感帳と仮書きをしておけば可能だっただろう。ポテンシャルとして毎日2万字ぐらいは書ける手応えがある。問題はどうやってそこまでエネルギーを投入するかということだ。機械なら外部からエネルギーを引っ張れるが、小説家はどこからエネルギーを調達すればいいのだろう? 執筆は孤独な作業だ。結局は欲をかかずに時間と手間をかけて書けということなのかな。
私はこの小説を乗り切れるのか?
本当に信じられないことだが今週は一日一万字書けた日が三日もあった。今週はコーヒーを飲む必要がないくらい頭が冴えている。最初は『真論君家の猫』以来、数年ぶりの絶好調だと思っていたが、どうやらそれ以上だ。三日とも夢を見ているのではないかと疑いながら眠ったが、翌日に現実だったと知って驚くことが続いた。
この小説は『真論君家の猫』以来の最高傑作になるのだろうか。小説精神というか、小説の核というか、そういう物では猫を上回る物とは思えない。しかし技術的には今までの牛野小雪をはるかに超える物が書けている自負はある。この小説が成功しなくても小説家として得るものはかなりあるだろう。
とはいえ私はこの小説を最後まで書けるか自信がない。毎日一万字書けても、そうなのだ。時々逃げ出したくなる。しかし、ひとたびキーボードを打ち始めると、文字がきらめいて見えるほどインスピレーションが湧いてくる。その勢いのまま書いていたら、日に一万字というわけだ。
一体どうしたのだろう。自分でもおかしいと思う。去年は一日2000字書いたら自分を褒めるぐらいだったのに、今年はその三倍、四倍、五倍と書いているのだ。恐い。幸せもあまりに過ぎるとストレスになるようだ。
なにはともあれ主観的には調子が良い。この波に乗ったまま最後まで書けたら、執筆体験としては史上最高になりそうだ。でもあまりに勢いが良いので恐くなって降りたくなる時もある。《未完》で終わることが現実実を帯びてきた。私は無事浜まで辿り着けるのか? それともこの小説は果てのない沖へ向かっているのだろうか? 毎日恐くて仕方がない。
もしかして死ぬ?
仮書きで調子が良かったところは執筆でも調子が良い。今月はあまりに書け過ぎたので、たった二週間で先月と同じくらい書いてしまった。今までこんなに書けたことはないので、もしかして死ぬのではないかという恐怖に襲われる。もし2020年が終わっても牛野小雪の新刊が出なかった場合は、本当に死んでいる可能性があるので、あらゆる手を尽くして『流星を打ち砕け』を世に出して欲しい。《未完》で終わってもいいので。
今作は一年かけて書くつもりで、事前の予測通りの執筆速度なら今はようやく3分の1が終わるところのはずが、2019年が終わる前に執筆が終わりそうだ。嬉しい誤算。でも次に何かを書く機会があれば、やっぱり例年通りの進みで計画を立てるだろう。今の状態がいつまでも続くとは思えないからだ。
なにはともあれゴールは見えてきた。たぶん来週。それでなくても年内に執筆は終わるだろう。
世界で一番幸せな小説家
5月から1年かけて書く予定のはずが2019年12月17日、つまり年内に書けてしまった。誤算は執筆の圧倒的な早さだ。今月は一万字書けた日が七日もあった。書く前はゲロを吐きそうなほど恐がっていたけれど、最初の1行を超えられれば、後は神がかり的に言葉が出てきた。比喩ではなく、ほほの裏側に神の顔が張り付いていると感じたほどだ。でもこれは神の力ではなく自分の力というのも理屈では分かっていた。5月から書き溜めてきたプロットや仮書き、雑感帳が今の私を後押ししているのだと。その証拠に最後の最後で執筆が仮書きに追いつくと一日一万字は書けなくなった。魔術的ではあったが魔術ではない。過去のエネルギーを現在で放出したに過ぎないのだ。
とはいえ、理屈ではなく感覚の面でいえば間違いなく私は魔術や神を感じながら書いていて、執筆した後は魂が浄化されたような爽快感をいつも感じていた。2019年、世界で一番幸せだった小説家は牛野小雪だと胸を張って言える。永遠に執筆が終わらなければいいのにと願ったが、どんなものにも終わりはあって、(おわり)を書いた時は大きな喪失感に襲われた。もし可能なら時間を戻して、もう一度この小説を書きたいぐらいだ。
さて、これから推敲をするわけだが、問題が一つある。今回は挿絵を描いているのだが、(おわり)を書いたとたんに私の中から絵を描こうという欲求が綺麗さっぱり消えてしまった。一時はスケッチの本を図書館で読み漁るほどだったが、今となっては何故そんなことをしたのか分からないぐらいだ。あの情熱は一体なんだったのか。100枚でも200枚でも描いてやろうという情熱が神と一緒に消えてしまった。もしかしたら挿絵はなしになるかもしれない。
間違える自由
一度推敲を終えると、がくぜんとした。こんな物のために1年近くの時間を費やしたのかと。しかし、作中にクッキーという猫が出てくる。彼女は冒頭で「正解以外は認めない全体主義は趣味じゃないし、間違える自由も認めるわ」という台詞を言う。まさに『流星を打ち砕け』は間違える自由を体現した小説だ。
私は最初から『流星を打ち砕け』を小説や文学にするつもりはなく、雑感帳には<小説も文学もまだ書いていないし、これからも書かない>と毎日のように書いていた。その願いは叶って、小説でもないし文学でもない。そして自由である。でも間違っている。
私の中にある小説・文学観が自由を許さない。でも別のところで自由こそ追い求めるべきだと心が訴えている。本当の天才なら迷いもなく自由の側へ飛び越えられるのだろうが、私は自由からの闘争を試みたい。でもこれを小説・文学の型にはめ込んだら、さぞ息苦しくなるだろう。天才でも馬鹿でもない半端者はどちらを選んでも幸せになれない。真ん中の世界に立って迷い続けるしかない。
天国も地獄もなく現実を一歩ずつ
『流星を打ち砕け』を書き終わってから一か月経った。時に舞い上がり、時に落ち込むこともあったが、ようやく冷静になれてきた。この小説は天使ではないが悪魔でもない。現実に書かれた物だ。だから手が届く。手を入れられる。推敲する度に良くなっていく。
プロットを何度も書き直したので、この小説にはいくつかのエンドある。今のところあるエンドで(おわり)にする予定だが、本当にそれで良いのだろうかと今も疑い続けている。他のエンドが良いのではないか。はたまた別のエンドを書くべきか。最後まで読んでも未だにこれと決まらない。たぶんこの小説ではなく私を推敲しなければならないんだろうな。
推敲が短くなっていく
推敲を一周するのに必要な時間が徐々に減っていく。今週はとうとう一日減らせた。たぶん来週はもう一日減らせるだろう。そうすればもっともっと推敲を回せる。
こんなに推敲したら磨り減りすぎて私以外に読める人はいなくなるんじゃないかと不安になるが、それでもseason3は過剰なまでにとことんやると決めたのだから、削れないところまで削りきってみよう。
結局書いたのと同じ時間をかけて推敲することになりそうだ。本当に長かったなあ。でももっと手間をかける方法はないんだろうか。推敲以外で。そんなことを考える。
自分だけの文学
推敲すればするほど小説は研ぎ澄まされていく。推敲の三回ぐらいまでは好きになったり嫌いになったりしたが、それ以降はどんどんこの小説が好きになれた。しかしそれは成功を意味しない。『流星を打ち砕け』は研げば研ぐほど私だけの小説になっていく。私だけしか読めないのではないかと不安になる。
バレンタインデーの一週間前に8周目の推敲が終わった。そこでふと気付いたのは、私は新しい小説を書いたつもりなのに、いつの間にか日本の古典をなぞっていたことだ。平安文学のとある話とそっくりな筋書きが見えてしまった。結局は忘れていたことを掘り返したに過ぎない。私にオリジナルの個性なんてなくて、今まで集めた物語を自分を通して語っているだけだと分かってしまった。考えてみれば小説のイメージも過去の文豪達の寄せ集めで、私はそのどんづまりにいるに過ぎない。私は歴史の遺産で小説を書いている。もし過去の積み重ねがなかったら私はどんな物も書けなかっただろう。
そこまで自覚した時、完璧なラストが見えた。これが正解だ。これで言うことなし、と確信できた。でもその後にもまだまだ考え続けて、いや、完璧な物語は既に過去に書かれた。現代に生きる私はそこから間違ってでも一歩進まなければならないと思い直した。それでうんうん悩んで、一歩踏み出した時、ふと千利休の逸話が私の胸に甦った。
利休がまだ弟子入りしていた頃、お師匠さんに言われて庭の掃除をした。利休は塵一つなく綺麗に庭を掃き清めたが、最後に木を揺らして葉っぱを落とした。
私がやったのも綺麗な庭に木を揺らして葉っぱを落としたことで、結局は先人のやったことをなぞっただけだ。自分だけの文学というのはなかなか難しい。だから、今でもまだ悩んでいる。最後までそうなのかもしれない。
そろそろ出版準備
10回目の推敲が終わった。迷いはまだある。もしかしたらまだ何かできるのではないかと不安になる。でも、これ以上はできないというところまではやれた。それをもって良しとするしかないではないか。
『流星を打ち砕け』のリリース準備を始めることにした。
そして
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インタビュー『流星を打ち砕け』を書く。 聞き手:牛野小雪
―2020年2月に『流星を打ち砕け』をリリースされました。この小説のアイデアはどこから生まれましたか?
今さらという感じですが東日本大震災が元になっています。ただしこの小説では地震ではなく隕石に襲われることになっています。なぜ地震ではないかというと、震災は他の場所でも起こるし、過去未来でも起きるので、そういう天災を抽象化したものが隕石となりました。だから震災は関係あるともいえるし、関係ないともいえる。
―隕石はただ落ちてくるのではなく核爆弾で破壊された破片の状態で落ちてきます。これは福島原発との関連はありますか? それとも広島長崎の原爆は関係ありますか?
原発、原爆との直接的な関連はないにしても科学や人間社会の象徴としての核爆弾ではあるかもしれない。人類滅亡級の隕石という理不尽な自然を、人の手で何としてでも破壊するという意思の象徴として核爆弾。もし地球や宇宙の環境がどうのと言っていれば人類は滅亡するわけで、核爆弾は恐ろしいものですが同時に人間の役にも立っている。核爆弾は人殺しの道具で、それは通常兵器も同じことですが、そういう兵器を作った科学は悪い物か、とは一概に言えないと思うんです。良い悪いは別にしても科学無しで現代人は暮らしていけないし、自然に還ろうと説くナチュラリストも恩恵からは逃れられない。そもそもどこから科学といえるのかという問題で、火を起こすのも広義な意味では科学であり、その延長線上に核爆弾があるような気がする。
と、考えてみると主人公の藤原千秋は火を起こさないことに気付きました。もちろん人間だからところどころで火の恩恵は受けるけれど自分からは起こさない。そして、二階堂先生という人が出てくるのですが、彼女はマッチと燃料を使って火を起こすんですね。その彼女は物語の後半で千秋がある行動を起こすきっかけを作るんです。自分では気付かなかったけれど、これは反科学小説、あるいは反社会小説という読み方もあるかもしれない。
―『ターンワールド』で主人公のタクヤが別世界に行った時に、老人から最初に教わるのが火を起こすことでしたね。
タクヤは火を起こすけれど、千秋は起こさない。でも最後にやることは似ているんですよ。タクヤは意識的にですが、千秋は無意識に。
―それでは今作も世界が終わる話ですか?
どの小説でもそうなんですが、まずある世界があって、それが変化するなり、成長していくものだから、ある意味では毎回世界が終わるんじゃないかな。でも元の世界といっていいのかな。帰る場所に帰る方法はタクヤは無意識だけれど、千秋は意識的だったりする。
―それは男女の違い?
こうやって考えさせられているから出てきたことで、今まで考えたこともなかった。でも私の中で男女の性別が反転するように、行いや考え方も反転したのかもしれない。
―たとえばもし主人公がゲイやレズだったら、どうなっていたでしょうか?
タクヤは男だからこう、千秋は女の子だからこう、という気持ちで書いたわけではなく、それぞれサイトウタクヤ、藤原千秋という一人の人間として書いたつもりです。無意識的に書き分けたかもしれないけれど、意識的にはそうです。小説の登場人物で書かかれるのは人間性だから、たぶんゲイやレズでも特に意識はしないかもしれない。究極的には火星のペンギンでも同じだと思う。
―なぜ火星のペンギン?
小説で猫を書いても結局はどこか人間的だから、やっぱり火星のペンギンも人間的に書くと思うから。
―猫は飼っておられますか?
家の近くに空き地があって、そこが野良猫というか野生生物のたまり場になっているんですよ。猫を飼ったことは一度もありませんが、姿は毎日のように見ています。小学生の時はある野良猫と友達になって毎日遊んでいた時もありました。
―何をして遊ばれたのですか?
相手は猫だからね。ボールを投げたり、追いかけっこしたり、鏡を見せて驚かせたり、一緒に屋根の登って地上にいる人をながめていたり、まぁそんなこと。エサは一度もあげなかったけれど何故か気が合った。夕方の四時に何度も名前を呼んでいると、どこからか現れて足元にやってくる感じ。でもある時から姿を見せなくなって、もしかしたら死んだんじゃないかって何日か探していたら、とある家のおばあさんにすっかり餌付けされていて、名前を呼んでも来なかったからそこで友情は終わりです。
―『流星を打ち砕け』ではクッキーという猫が出てきます。他の小説でも猫が出てきます。その経験は生かされていますか?
たぶん関係ないんじゃないかな。別の小説ですが、ある人にうちの猫はこんなことしないと指摘されたことがあります。他の人もそう思ったかもしれない。でもクッキーは『うちの猫』じゃなくてクッキーだから、そういうものだと思って読んでほしいですね。それにクッキーも自分をそんじゃそこらの猫じゃないと言っているしね。
―どうやってこの小説を書かれましたか?
最初に構想をノートに書いて、それを元にプロットを作りました。先が分かっていると面白くないからと、プロットを作らない人は多いようです。
完全にプロット通りに書いているわけではなく、二年前からは『後からひらめいたことは絶対に正しい』という信念で書くようにしたので、書く前はもちろん書いている途中でも書き直します。『流星を打ち砕け』は9回書き直しました。でも基本的には道筋が決まってから書くやり方は変えていません。世界には何百万人も作家がいるのだから、こういう作家がいてもいいでしょう。
―書き直すとは具体的にどういうことをするのですか?
大きなところ小さなところと色々ありますが、たとえば最初のプロットの書き直しは登場人物を減らしました。元々の案はポロ部の子が4人。同級生の子の妹、その友達がいたのですが、音々ちゃんと伊集院先輩を除いて全員消えました。その二人にしても、ほとんど物語に関わってこない。顧問の二階堂先生も役割が変わった。
―なぜ減らしたのですか?
本筋は藤原千秋の物語だから。ポロ部だけじゃなくて先生や避難所にいる人達にも物語はあった。そういうのを全部書いたら完成稿の倍の倍ぐらいの分量になったと思う。でも藤原千秋にできるだけ焦点を当てていたら、みんな消えてしまった。
これは作者にしか分からないかも知れないけれど、ところどころにある妙に力が強い場面には、消えたプロットの名残がある。だから表面には出てこなくても、書かなかった部分はこの小説に力を与えていると思う。書かなかったものはたくさんあるけれど、無駄になったものはない。みんな役に立っている。
面白いのは藤原千秋の物語なのに猫のクッキーが登場することで、彼女はほとんど千秋と関係ないところで動いていて、理論的にはクッキーはこの小説に必要ない。だからポロ部の子達より先に消えるはずだったのに何故か最後まで残ってしまった。
―それは彼女が世界で一番美しいから?
かもしれない。なぜ消さなかったのかと問われても分からない。推敲をしている時でも消した方がいいとは思ったけれど、消したのは一章だけ。でも同じタイミングで千秋も一章減らした。クッキーなしで千秋は存在できないようだ。
もし、千秋かクッキーかを選ぶとしたら、クッキーの章だけを残したいな。でもそうすると小説が成立しない。難しいね。でもたぶん、これは予感なんだけれど、私は将来的にクッキーだけで小説を書くようにな気がする。
―いつからそのような書き方を?
今とまったく同じではありませんが、プロットを作るやり方はもう10年以上前から、自分の部屋から半径1m以内で完結する小説を書いていたころからです。
書き方は少しずつ変化していって、一昨年からは執筆と並行して仮書きをするようになりました。絵でいう下書きみたいなものですね。これで手応えがあったので『流星を打ち砕け』は執筆前に一度最後まで仮書きして、そこからまた執筆と並行して仮書きをしました。次の日に書く分を毎日書くんです。こんなに手間をかけたら一年以上かかるんじゃないかと不安になったけれど、執筆は今までにないぐらい進んだので去年中に終わりました。
―書き方の参考にした本はありますか?
齋藤孝さんの『原稿用紙を10枚書く力』です。今思い返すとあれは小説の書き方ではなかった気がするけれど、小説を書く前に色々準備しておくという考え方はこの本で習いました。それまでは原稿用紙3枚ぐらいがやっとで、5枚も書いたら物凄く書いたと感動したぐらいですが、その本を読んでからは10枚、20枚と書けるようになりました。これ以外にも何冊か書き方の本は読んだのですが、動物が生まれて初めて見たものを親と認識するように、この本以外の書き方は私の中に残りませんでした。
―『流星を打ち砕け』は私という一人称で千秋とクッキーの章が書かれています。あなたのこれまでの作品から一人称は珍しい印象を受けるのですが、今作で一人称にした理由はありますか?
『聖者の行進』という小説を書いたときに神視点の三人称で世界を書こうとしました。人がいない小説を書こうとしたんです。じゃあその次は個人の視点を重ねて世界を書けないかなと。フォトショップでレイヤーを重ねて絵を描くように、小説も書けないかなと。
―芥川龍之介の『藪の中』のような? しかしレイヤーは重なっていないように思われます。
一つの事象を多数の視点で見るのではなく、それぞれが別のところを見ている。『藪の中』はくねくねと曲がった穴の底へ潜っていくようなのに対して、私はただ広い暗い空間を目を光らせながら歩いているようなものですね。芥川は立体的で、私は平面的。彫刻と絵画、三次元と二次元。
―次元が多い分、芥川が一枚上手だと思われますか?
どちらが上ではなく、ただ違うんだと思います。三次元が二次元より偉いというわけでもないでしょう。それに『藪の中』は既にあるのだから、後世の人間は違う小説を書かなくてはいけない。でも負けたくはないな。
―小説の舞台はすだち県という架空の土地ですが、四国にあると書かれていて、挿絵に出てくる四国も現実のものとほぼ同じです。徳島県がモデルなのですか?(牛野小雪氏は徳島県在住)
三つ子の魂百までと言いますし、やはり体に染みついた空気と水は徳島から離れられないんだと思います。『流星を打ち砕け』だけではなくすべての小説は徳島県から発想を得ているはずです。作中では別の土地になっていても、私が思い描いている場所は徳島県のどこかという場合がほとんどでしょう。
―ほとんど、ということは違うこともある?
生まれてから一度も徳島を出たことがないというわけではありませんから。ただ想像の土台はやっぱり自分が育った場所を抜けられないんだと思います。でも『流星を打ち砕け』に出てくる砂浜は実在しません。というのも私の記憶ではそこに砂浜があったはずなのに、実際に行ってみると高速道路の橋桁が立っていたんです。護岸整備もされていて、とても浜と呼べる場所ではなかった。だから、あそこは私の頭にしかない場所なんです。
―その砂浜から千秋は『U.S.NAVY』と船体に書かれた船を見ます。米軍の船ですね。搭乗員はアメリカ人で英語を話しますし、作中でもそこは英語になっている。別の場面では千秋がシャネルの帽子を被ったり、プーマのジャージを着たり、スパゲッティを食べたりしています。馬や猫の名前は明らかに外国のものです。なぜ日本人のあなたが外国の文化を書くのですか? 西洋かぶれなのでしょうか?
まだ(2020年1月現在)リリースはしていないのですが一昨年から去年にかけて『山桜』という小説を書いていました。書く前は純日本的な物を書こうとしていて、武士道とか、大和魂とか、あるいは外国人から見た日本とか、色々調べていたのですが、結局純日本的な物とは何かというのが分からなくなってしまいました。ある瞬間、ある時代における日本的なものはあっても、別の時代では簡単に変わってしまう。という至極当たり前のことに気付いたのです。和服一つとっても十二単と小袖は別物だし、刀も鎌倉時代に馬上で使われていた物と、幕末の武士が腰に差していた物はやはり違う物。
なぜ外国の文化を書くかといえば、それが現代の日本にあるからでしょう。たぶんですが、プーマが外国の企業だと知っている人なんてほとんどいないだろうし、意識もしていない。私にしても何年か前にTVで知ったぐらいです。シャネルは外国の物として意識されているかもしれませんが、それ以上に『ブランド物』として意識されているはずだし、スパゲッティもイタリア料理ではなくスパゲッティとして意識されている。たぶん。少なくとも私はそう。外国の物はすでに日本の物として吸収されているから『純日本』とは言えないにしても『現代日本』ではあると思うのです。
ただ、私は週刊少年ジャンプとハリウッド映画を浴びて育った人間ですから。半分は西洋、というかアメリカに影響を受けているのは間違いないです。
そしてたぶん西洋かぶれっぽく感じたのだとしたら、それは去年、純日本的な物を書こうとした『山桜』の反動だと思います。
―主人公の千秋はポロ部です。現実の日本で、学校の部活動としてのポロ部は存在しません。なぜ千秋はポロ部なのですか?
それは私が訊きたいぐらいで、小説の初期の初期、まだ形も言葉もないイメージから彼女は馬に乗って現れました。右手にはポロの棒を持って。理屈からひらめきが出ないように、ひらめきから理屈は出てこないんです。ポロ部だからポロ部。それ以上の理由はありません。
―ポロをされたことはありますか?
小さい時にポニーに乗ったことはあります。背中の毛がごわごわしていて、温かかったことを憶えています。
―今作では挿絵をご自身で描かれています。普段は絵を描かれているのですか?
新作を出す時に自分で表紙を作らなければならないので、数年前から美術館に通って刺激を受けに行くようにはなりました。でもああいういかにも『芸術』みたいなのは描くつもりはないですし、描けるとも思いません。時々ちらっと描くだけですよ。挿絵を書く必要がなかったら毎日は描かない。たぶん月に2、3回ぐらいじゃないかな。数えたことはないけど。
―絵は何枚描かれましたか?
挿絵は50枚くらい。でも下書きはたくさん描きました。割り箸の紙とか、整理券の裏とか、そういうのに描いたのも含めると100や200は超えているだろうけれど、たぶん1000枚は超えていないんじゃないかな。
ーどうしてこんなにたくさんの挿絵を描く気になったのですか?
twitterでセルフパブリッシングの作家の人はマルチな才能があって、絵を描ける人もいるのだから挿絵がいっぱいの小説を書いたらいいのにと言っている人がいたので、それに触発されて描きました。もっとも私に絵の才能があるとは思えないけれど。
―絵を描くにあたって参考にされた本はありますか?
中村祐介の『中村祐介「みんなのイラスト教室」』とパウル・クレーの『造形思考』。それとどうしても馬の形が掴めなかったのでジェニファー・ベルの『‐HORSE‐やさしい馬の描き方』を読んで練習しました。この本を読んでいなかったらユニコが出てくる挿絵はなかったでしょう。
―これからどういう小説を書くつもりですか?
今見えている目標としては限りなく透明に近いフラットな小説を書くつもりです。どこまでも平坦で、凹凸や深みがない、全てが表面で完結する、いわゆる『文学的』ではない物を書きたいと思っています。
―表面で完結するとは?
感情と事実が消えた世界です。といいつつ私もまだそれがどんな物か想像はつかないんですけどね。
形が見えている物なら『平家物語』の冒頭ですね。ああいう何人称とか関係ない文体で小説を書けたらなとここ数年は悩んでいます。
―最後に、あなたにとって小説とは?
地に落ちた堕天使(ルシファー)。
―堕天使ですか?
小説は最初、言葉も色も形もない純粋なイメージで降ってくる。そのイメージはあまりにも素晴らしすぎて、小説家はしばらく圧倒されてしまうけれど、そこから何とか言葉で形を捉えていく。しかし言葉にするばするほどイメージは損なわれていく。天使が言葉に羽を食べられて、天国から地上へ落ちてくるようなものだ。
地上に落ちた天使は小説家が扱える物になる。最初に圧倒されたイメージとは別物になっているけどね。まぁ、言ってしまえば天使ちゃんではなくなってるわけだ。でもそこであきらめずに地上で生きていく強さを身につけて欲しいと願いながら書き続けることが、小説を書くってことじゃないかな。小説の最初は魔力だけど、最後は魔が抜けて力になっている。だから現実に存在できる。
一番良いのは小説を書かないこと。小説は純粋なイメージの時が一番美しい。でも手に入れようとすれば、羽をもいで地上に落とさなければならない。小説は誰にでも書ける、あるいは誰でも一つは自分の物語を持っているというけれど、実際に書く人があまりいないのはそういうところに理由があるんじゃないかな。小説を書くことは精神的な自傷行為で、書けば書くほど雲の上にいる天使は傷付いていく。でも傷付けなければ地上に引きずり落とせない。放っておけばいいのに、手で掴もうとするから小説家は残酷で罪深いと思う。
―なるほど。今日はありがとうございました。
こちらこそ。ありがとうございました。
(おわり)
『流星を打ち砕け』の表紙はどうやって作られたのか。ポイントは《読まなくても内容が分かる》
初期の案。プロットを書く前に描いた。英語の題はBreak Shooting Starになっているが、最終的にはdawnをつけてBreak Dawn Shooting Starにした。
千秋の髪形はこの時にもう決まっていた。彼女が持っているのはポロで使うマレット。作中ではハンマー杖と呼ばれているが一度しか挿絵で出てこない。
ちなみに初期案では千秋が大人で、世界で一番美しいという設定になっていた。
黄色と青だけでは弱いのではないかと不安になって色を塗った。どうしても葦毛感が出せなかったし、そもそも配色が悪い。これなら二色で勝負する方がマシだと思った。
なぜ『流星を打ち砕け』は青と黄色なのか。それは何かの本で青と黄色の組み合わせが、これからの時代に流行ると何かで読んだから。自分の色彩感覚は信用しないけれど、他人のは信用する。もしかしたら間違っているかもしれないね。でもそれを鵜呑みにするのも自由だ。
題名と作者名を中央に置いた。黒ボックスがあるのは文字を見やすくするため。
上三つの絵が気に入らなかったので、推敲中に描いた。挿絵を何枚も描いた後なので、ちょっと腕が上がっている。
クッキーの鼻がちょっと切れているのは内緒。
表紙を見ただけで内容が分かるようにするため。そしてテキストの変形をおぼえたばかりで、文字で何かやりたかった私が試しに作ったもの。これを表紙にするつもりはなかったが、これで下の表紙を思い付いた。
どう見ても『スターウォーズ』のOP だけど、ここから新案のヒントを得る。ポイントは《読まなくても内容が分かる》だ。
隠した方が良いんじゃないかと青い色で枠を作り、そこに題名と作者名を入れてみた。上下に分けて大字にするというのは気に入った。自分勝手な感覚だが上下の合わさるところに中心点が来るからバランスはとれていると思う。
決定案。どこか怪文書っぽい。創作のヒントはフランスで盛んだと言われているコラージュという手法(そもそもコラージュがフランス語)。ピカソも手を出したことがあるのだとか。作中の挿絵をこれでもかとバラまいた。本を開かなくても、こんな感じのことがあるんだなと分かる。挿絵は全部で50枚近くあるけれど、収まりきらないので20枚ちょいにした。これこそ小説の《顔》としてふさわしい。表紙に惹かれたら是非中身も読んでいただきたい。もちろん惹かれなくても。
挿絵一覧
藤原千秋 第一章 70年連続日本一のポロ部
クッキー 第一章 世界で一番美しい私
藤原千秋 第二章 流れ星でいっぱい
クッキー 第二章 世界で一番美しい私、漁師にすくわれる
藤原千秋 第三章 ユニコと一緒に
藤原千秋 第四章 私の埋葬地
クッキー 第三章 世界で一番美しい私、へちゃむくれの猫を見る
藤原千秋 第五章 令和町のシンデレラ
クッキー 第四章 世界で一番美しい私、がぶりとやられる
藤原千秋 第六章 ポロ部の生き残り
藤原千秋 第七章 恐竜が三回絶滅する噴火
クッキー 第五章 世界で一番美しい私と二十五匹のソフィア
藤原千秋 第八章 馬の運び屋
クッキー 第六章 世界で一番美しい私、墓をあばく
藤原千秋 第九章 お手柄!町の騎馬警察
クッキー 第七章 夢の続きで会いましょう
藤原千秋 第十章 青い凶星去り去りて
クッキー 第8章 千秋はどこにいるの?
藤原千秋 第十一章 初めて見る顔
クッキー 第九章 世界で一番のうぬぼれ屋
ユニコ 第一章 本当に世界で一番美しい私
ユニコ 第二章 天国よりも高い場所
藤原千秋 第十二章 ユニコをこの世に引き止められる力
クッキー 第十章 人類滅亡級の破滅的なハッピーエンド
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