聖者の行進 試し読み

タクヤ 第一章 くもとこうずい


 サイトウ・タクヤは外側の人間だった。彼の記憶は幼稚園から始まる。それはいつも砂場の外であり、ブランコの外であり、園庭の外であったりした。

 タクヤは毎日ティラノサウルスを描いていた。それも博物館や図鑑にある骨の姿だった。必ず最初に骨のティラノサウルスが画用紙の中心に描かれ、その周りに子どもや大人、ビルや家、車に飛行機、お花や動物の絵が描かれた。

 黒のクレヨンで輪郭を描かれたキャラメル色のティラノサウルスを見て、幼稚園の先生は「サイトウくんは恐竜が好きなんだね」と言った。

 タクヤは先生が言葉を欲しがっているのを感じた。それも他の子のように元気一杯の笑顔で答えなければならない。しかし、タクヤは声を上げて泣いた。

 タクヤが突然泣き出したので先生は慌てて彼を抱き上げると「どうしたの?」とあやすような声を出した。面倒な子だと先生に思われているのをタクヤは感じた。その日から隠れてティラノサウルスを描くようになった。

 タクヤは小学生になるとティラノサウルスを描かなくなった。というより描けなくなっていた。頭の中にはキャラメル色のティラノサウルスが鮮明にあるのに、それを紙に描こうとすると透明の砂嵐が世界全体を覆って、全ての思考を透明に吹き消してしまった。

 小学生になってからもタクヤは外側にいた。休み時間は運動場の外でドッヂボールやサッカーをしている子達を見ていた。彼は学校で一言も喋らなかった。授業中に発表をうながされたり、他の子に喋りかけられたりすると、ぎゅっと口を閉じたまま涙を流したので誰も彼に話しかけなくなった。

 担任の教師は五月の家庭訪問の時にタクヤが何かの病気なのではないかと両親に打診したが、両親は過去に病院で診てもらったが異常はなかったと答えた。

 両親も彼に何か異常があるのではないかと一度は疑っていた。しかし病院で同年代の子と比べて知能指数が高いことが分かるとタクヤの異常さは彼らの自慢になった。確かに小さい頃からタクヤは聞き分けのいい子で育児雑誌に書いてあるトラブルはほとんどなかった。しかもその頃からタクヤは両親と言葉を交わすようになり、ほんの短い期間で両親がどこで覚えたのかと驚くほど言葉を使えるようになったので、子どもの育ち方にも色々あるということで二人は納得していた。

 両親は彼が学校でどう暮らしているのかは知らなかった。担任の教師から彼の学校生活を知らされると、両親はもう一度タクヤを病院に連れていった。新しい環境のストレスによる一時的な緘黙症(かんもくしょう)だという診断が下された。治療法は環境に慣れること。薬は出なかった。両親はその診断に納得がいかなかったが、自然に治るという言葉を信じるしかなかった。

 それ以来今日は学校でどうだったかと両親に訊かれるようになったので、タクヤは誰々と何々をしたと嘘をつくようになった。両親はそれを信じた。担任の教師から何か言われても、教師が全ての子どもを見られるはずがないと思い込んだ。彼が誰も家に連れてこないし、誰かの家に遊びに行かないことには気付かなかった。

 タクヤは学校で一言も喋らなかったが読み書きはできた。むしろ他の子よりずいぶんとよくできた。教師の目から見ても授業は退屈そうだった。体育も五十m走はクラスで早い方だった。

 図工の授業で絵を書かなければならない時があった。ティラノサウルスが描けないタクヤは白紙のまま画用紙を出した。さすがに教師はそれを怒った。タクヤも怒った。涙を流しながら黒と青の鉛筆でぐるぐると二つの渦巻きを描くと『くもとこうずい』と題して提出した。

 それからタクヤは『くもとこうずい』ばかりを描いて過ごした。ノートは大小の青と黒の激しい渦巻きで埋められた。

 タクヤが小学二年生の頃、ある芸人がライオンの恰好をして「ンガチョ!」と叫ぶ一発芸で人気が出た。休み時間になると学校の教室ではたくさんの「ンガチョ!」が飛び交った。
 ある時ヨシダ・ユウキという子が「おい、お前。いつも丸書いてるよな」とタクヤにちょっかいを出してきた。久しぶりに話しかけられたのでタクヤは泣きそうになった。「おい、何か言えよ」とヨシダ・ユウキはさらに急かした。

 タクヤは目に涙を溜めた。泣かせたら教師に怒られるのでヨシダ・ユウキは背を向けて逃げようとした。しかし、その瞬間タクヤは「ンガチョ!」と叫んだ。ヨシダ・ユウキが驚いた顔でタクヤに振り返ると、タクヤはさらに「ガー」と吠えた。ヨシダ・ユウキは弾けるように笑った。

 タクヤは彼の心の中にすっぽり吸い込まれたような気がした。それが嬉しくてタクヤは泣いた。ヨシダ・ユウキは逃げた。だが、それからタクヤとヨシダ・ユウキは友達になった。それどころか彼以外の子ども達とも「ガー」と吠えることで友達になれた。クラス中がガーガー吠えるようになった。その中心には必ずタクヤがいた。もう彼は外側ではなかった。「ガー」と吠えるだけでなく、普通に喋れるようにもなった。『くもとこうずい』は描かなくなった。

 それ以来タクヤはテレビを見て芸能人を真似るようになった。彼はさらに人気者になった。将来は芸能人になろうかと考えるほどで、休みの日にはたくさんの友達が彼の家に押し寄せた。

 タクヤは常に中心にいた。中高合わせて六年間クラス委員長も務めた。タクヤは誰でも笑わせることができたし、深い知識で相手を感心させることもできた。勉強もできたので良い大学に進学した。そこでも彼は中心にいた。

 二十歳になった時、タクヤはある不思議に包まれた。どうして面白いことも気の利いた言葉もないのに他の人達はうまくやっていけるのだろうか。タクヤは周りに合わせて笑っていたが、彼らはいつもつまらないことで盛り上がっていた。

 もしかすると自分は頑張りすぎていたのかもしれない。タクヤは試しにつまらないことを言ってみた。つまらなすぎて記憶に残らないほどだ。

「つまんねえ」

 ぽつりと一言だけ冷たい言葉が返ってきた。その後すぐに「うわっ、それってひどいなぁ」とタクヤがごまかすと笑いが返ってきたが、タクヤの中に消えない寂しさが居座った。

 それ以来タクヤは面白いことや気の利いた言葉を出せなくなった。

 タクヤはまた外側の人間になった。誰とも喋らずに無言のまま大学を卒業した。卒業できたのは教授のお情けだ。誰とも関われなかったので就職活動もしなかった。それから何年も部屋の内側で生きてきた。外に出る時もあったが、誰かと話すことはない。話したとしても店の従業員とマニュアル的なやりとりをするぐらいだ。

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